[*]Please vacate this seat for...

Date: Sun, 27 Jun 1999

電車やバスには優先座席というのがある。以前は、主にシルバーシートと言われていた。そのくせに、赤とか青とかの色をしていて、銀色をしているのは見たことがない。青はやはり若さの象徴であるし、赤は情熱の象徴であるからなにか違う気がする。赤なら長寿のお祝いのチャンチャンコの色だと 思えば近いかもしれない。

シルバーシートなどと言うなら、ぼくは確認されているだけでも9歳の頃から銀髪があるので、対象者に入れてもらっても良さそうである。近頃は「シルバーシート」とは言わないのかもしれない。主に、お年寄り、身体の不自由な人、妊婦な人、小さい子を連れている人に譲るようにと書いてある。

電車には、しばしば心の不自由な人も乗ってくるのであるが、その人が男性の場合、駅員の動作や、車掌のアナウンスのマネを得意技とする人が多い。なんでなんだろう。

私は毎朝おなかを下してしまう程度に身体が不自由であるし、毎夜、謎の妄想に襲われて訳が分からなくなる程度に心も不自由であるが、いちおう、普通の生活をしている。長かった髪も切っちゃったので、また、一見すると普通の人にみえるかもしれない。私は変な人なので、人に普通に見られるのは、その人を騙しているような気がして、いたたまれない。

いたたまれない私は、めったに電車の座席に座らない。さすがに指定席を取っている時はやむを得ず座るし、ガラガラで隣の人と十分な空間距離が保てるような時は座る。でも、通勤電車で座ることはめったにない。引っ越しして乗車時間が短くなったせいもあるかもしれない。

前住んでた寮は駅から少し距離があったので、時折、バスを利用していた。その時思ったのは、「どうも、バスは電車よりも優先座席のバリアが強いらしい」ということであった。お疲れな帰りのバスであるのに、優先座席が埋まるのは最期の最期、優先座席は空いているのに、なぜか、立っている人が大勢いるという状況もあった。

思うに、バスの場合、高齢の方にフリーパスが配られ、ご利用の頻度が高いため、そういう意識が働くのではなかろうか。以前、乗ったバスでは前側左半分が全部優先席で、なんでか、その時の乗客(自称若者)はみんな右側の席にだけ座っていたことがあった。バスの重心が変わってしまって左折の時に遠心力で横転してしまうのでないかと心配になった。

さて、電車の座席に座る人は、なんでか端に座るのが好きな人が多い。端から2番目のブービー賞な人も、端の人が降りると、ささっと端による。でも、通勤用の電車だと、端の席は、通路横に立つのが好きな人が、手すりにお尻を乗せて来たり、肘鉄攻撃をかけてきたり、リュックで凶器攻撃をしてきたりして、あまり心休まる場所じゃない気がする。


私は電車で座らない。

となりのきれいなおねえさんが眠りに落ちて、肩を貸さなきゃならなくなったらドキドキするから。

となりのずうずうしいおばちゃんの大きなお尻がゴイゴイ攻めてきて、脚の肉をちょっぴりとだけ挟まれるんじゃないかと気が気でないから。

となりのかっこいいにいちゃんが脚を広げたり、組み替えたりするのに私が邪魔な気がするから。

となりのつよそうなにいさんに因縁つけられるのじゃないかと怖いから。

となりのきまじめそうなおじさんが電車の中にまで仕事を持ち込んで資料読みはじめたり、パソコンのキー叩いたりしだしたら、企業秘密が漏れるのではと心配だから。

となりのいかがわしいおっちゃんが夕刊紙やスポ−ツ紙のエッチなページを広げてると、私もいかがわしい気持ちになって、降車駅で立てなくなると困るから。

となりのさわがしいお子様を、ウキャウキャと鳴くサルと間違えて保健所か動物園に通達しないといけない気がするから。

前に立っている人は、きっとぼくがここに座ってなければ座りたいだろうから。いたたまれなくなるから。

でも、多くの人は、隣の人と袖触れ合うほど、くっつい座っても、
おとなしく、本を読んだり、瞑想したり、寝たふりしたりして過ごしているのだから、それは、それで、一つの特技であるなぁ。と思うのである。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『少年とオブジェ』赤瀬川原平(ちくま文庫、520円)老人力の赤瀬川翁の童話的な哲学的な思い出話。夜尿症ネタが多いが、それだけ深いコンプレックスだったのだとご自身で書いている。やはり、それを克服するには、それなりに歳を取る必要があったのだろう。
当時の世 強風で流れの速い雲と一緒に見る夕焼けは幻想的だった。
当時の私 部屋にこもってグラストロンで6時間もビデオを見たらクラクラした。

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