果たして、「生き埋め」物件なのか「地層」物件なのか「境界」物件なのか。
本来、線路が来るはずであろうところに、プレハブで売店が立ち、電車が来た時にはこれより後ろに下がらなくてはいけないと言われる白線が孤立したものである。
お店の客足に影響はでないのか心配である。
なお、この売店はプレハブであり、その下にはまだ、線路を引こうとしている意志が感じられる。また、このホームが1番になる予定だったのか、残りの3本が2〜4番線と言われているあたり、生き返る可能性もある埋められた物件である。
1997/12/27 東急田園都市線溝の口駅
バスの道路に街路樹がおおよそ、等間隔に立っている。等間隔なので、歩道に落ちた落ち葉の層には周期のある濃淡ができる。さらに、この歩道に面する家の住人の方が、ご自宅の正面を特に重点的に掃除される。おおよそ、多くの家も似たような大きさで並んでいるので、ここでも周期的な濃淡が出る。
その結果、この縦断歩道が現れる。落葉それ自体は自然現象の一部であるが、すでに街路樹、あるいは掃除という人為が加わっているので、作品と思ってよいと思う。
実は発見したのは1年前の秋である。その時は、見事なまでの縞模様を見たのだが、今年は時期を逸したのか、それとも落ち葉の落ち具合がうまくいかなかったのか。残念ながら、さほどはっきりしていない。
やはり、はじめに発見した時の、感激と一期一会を大切にしなければいけないのだろう。
範疇としては「地層」物件と言ってよいと思う。
もう、秋も終わり、冬である。多くの街路樹はすべての葉を落としてしまって、丸裸であるのに、この2本だけ葉が残っている。
前の項でも述べたが、街路樹は木だけれど、自然というより人為である。その証拠に、この街路樹は銀杏並木だが、臭いギンナンを落とす雌株はなく、雄株ばかりである。
この2本の正面は駐車場であり、住宅ではない。広いスペースが十分にある、落葉を促進する風の巻き込みなどが少ないのかもしれない。
とある住宅の住人の方が、落ち葉掃除の工期を短くするために、木を揺すってわざわざ、一気に落葉させようとしていたのを見たことがある。この2本の場合はそういう事態にさらされることも少ないのかもしれない。
目の前の街路樹の落ち葉を掃除して、パンパンにふくれあがったゴミ袋は果たして家庭から出た燃えるゴミなのか。
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