[*]It's snowing

Date: Sat, 10 Jan 1998

一月八日の関東地方は大雪でした。実のところ、私は前日に徹夜仕事をしてお休みを取っていたので自室で昼寝をしてました。うたた寝の闇のトンネルを抜けるとそこは雪国でした。

雪はしんしんと降り続けていました。当然、雪が「しんしん」と音を立てて降ってくるわけではないので、これは擬音語ではなく擬態語です。でも、なんだか雪は周りの音をかき消しながら降ってくるので「シーン、シーン」と降っているのかもしれません。夏目房之介さんのマンガ論にも出てきましたが、この「シーン」という無音状態を表すオノマトペの存在は不思議です。

しかし、やたらと降るなぁと思っていたら、電車が止まってしまって、同じ寮に住む仕事仲間の人の中には、帰ってこれなくなった人もいたようです。「明日、出勤できるかなぁ。この際、4連休にしてしまうのもいいなぁ。」とか思いつつ、「雪見酒、雪見酒」と独りごちりながら、ビールの空き缶のトーテムポールを築くのでした。

翌朝、ニュースを聞くと、どうやら電車は全休というわけではなさそうだ。というわけで、「途中で行けなくなったら、今日は休みにするべ」と思いつついつもより、ちょっと早めに出掛けました。まだ、早い時間なので、新雪に足跡を刻みつつ。お子様のような喜びをかみしめて歩きました。「公園のハトを追い立てて飛ばす」病や「よその子が持ってるものが欲しくなる」病と並んで「新雪に足跡をつけたくなる」病はお子様症候群の諸症状の一つと言われてます。

重装備の厚着をしたおばさんが犬を散歩させていました。犬は喜び庭駆け回るというのは嘘だったのだろうかと思うほど、淡々と歩いていました。不肖、私は戌年の生まれなので、「ここは喜んでおくところか?」と一瞬お約束に走りそうでしたが、そういうことなら子年生まれは落ち着きがなく、丑年生まれはゆっくりしてて、亥年生まれは猪突猛進しなければならなくなります。これは AB型だから二重人格だと言い放つようなトホホ感です。

バスの停留所では「出勤・登校しなければ」という義務感に燃える人たちが雪を溶かしていました。高校生の女の子は「だって制服なんだもん」って感じで、この寒空の下、いつものコートにマフラーにミニにナマ足です。JR東日本の車内広告のマンガのマナー向上委員会のJ子ちゃんは年明けに伴い、白ルーズから紺ハイソに転向したようですが、町にはまだルーズはしぶとく生き残ってます。レッグウォーマーみたいであったかいのでしょうか?「下には流行りのババシャツってのを着てるのだろうか、もしかして、あのミニの下は毛糸のパンツなんではなかろうか」と思うのですが、いい歳してスカートめくりを敢行するわけにもいきませんでした。

私の悩みをかき消すように、タイヤチェーンをして真冬の鈴虫になったバスが舗装道路の上にシャリシャリと真冬のかき氷を作りながら、屋根に白い雪のはんぺんを載せたような恰好でやってきましたが、私はバスに乗らずに歩いて駅までの道のりの雪景色を堪能することにしました。

次々と人類未踏の地へ足跡を記す私のうしろから、遅れながらも懸命に配達する新聞屋さんのバイクがきました。ぼくの部屋には残念ながら出勤に間に合いませんでした。さすがにこういう時はスピードを出すのは危ないので、50ccの制限速度30km/hは余裕でクリアです。今にも止まりそうな速度で、フラフラと走るバイク。ステンッ!「チキショウ、やっちまったい!」くやしそうです。たぶん、「俺は転ばずに配達を終えた」と自慢する予定だったのでしょう。

駅で待っていると、なかなか電車が来ません。ホームから道を歩く人々が見えます。「なるほど、この頃、女の人がよく履いてる例の底の分厚いブーツはこういう日のためだったのか」とぼんやりと眺めてました。

駅員さんが放送で「次の電車は○○駅を出ました。」「次の電車は××駅を出ました。」と実況中継をして通勤客の苛立ちを抑えようとしていました。じっと待っていると、我慢しきれなくなったのかケータイで話始める人がいました。「もしもしぃA子ですけどぉ、雪で電車来なくって、遅れそうなんですぅ…」「あ、俺、雪がさぁ、すごくってさぁ…」「もしもし、いつもお世話になっております。株式会社凸凹の某でございます。もうしわけございません…」

改札口では遅着の証明書を要求する人々。こんな天気なら証明書がなくたって誰もが証人になってくれそうなものだが、準欠勤になって査定に響くのにビクビクしないといけないような境遇の人も多いのだろう。なんでか、みんな、大雪だろうが暴風雨だろうが、大地震の時でさえ、義務感をもって登校・出勤する。でも、心の中では「こんな日に行きたかねえんだけどさぁ」と思っている。多分、無事に仕事が始まっても、「雪のせいで」効率が落ちることは目に見えている。みんなが雪で固めて作った印籠を持っているから。

え〜い。控えい、控えい。これが目に入らぬか。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『毒にも薬にもなる話』養老孟司(中央公論社,1800円) 脳化社会の解剖学。量をまちがえるとたいていの薬は毒である。脳味噌に体力つけて読めば、毒のある話も薬である。薬というより楽しい。
当時の世 星新一さんが亡くなった。
当時の私 暖房の効いた電車の中で汗をかいている。

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