Date: Mon, 31 Mar 1997
師曰く
「だいたい、理系の大学院生にもなって、血液型の話でそんなに盛り上がるのは日本だけと違うか?ナンセンスだ。」
この手の論を切って捨てる人の中のこれまた類型的な反論があるが、
「人間がたった4つの型に分けられるわけないだろう。それに、ABO式というのは血液型の分け方の一つであって、他にもいろんな分け方があるのに、そんなもので一喜一憂するな。」
というのがそれである。
なるほど、そうなのだが、これは信じている人ほど、その類型にはまり、思い込みによる重み付けもあって、ますます血液型別性格類型に確信を深めるというひとつのサイクルが、少なくともこの平和な日本の青少年に関しては成立していることを否定できないのである。信じるものは救われるが同時に呪われるのである。
ABOだけじゃなかろうと言ったって、例えば、自分がRh-型であることを知ったならば、おそらく、素人目に見ても圧倒的マイノリティーであることを自覚するであろうし、おそらくテレビで育った世代としては、大ケガをした登場人物がいて
「輸血が必要です。ですが!彼の血液型はRh-なんです!」
「なんだって!!!(BGMはベートーベンの『運命』)」
という感じの脚本による刷り込みが行われているであろうから、なんらかの覚悟を秘めて人生を送っている可能性は高い。
血液型とその傾向のおかしさは竹内久美子の『小さな悪魔の背中の窪み』におもしろおかしく出てるので、そこらに転がってる雑誌の血液型占いを見るくらいならこれを読んだほうが面白い。免疫の型と性格との相関の話なんかはほんとにそうなんじゃなかろうかと思わず信じてしまいそうになる。例えば卑近な例を出すと「花粉症」な人は「お外に出ると花粉が飛んでいて嫌」なので、「引っ込み思案な」性格になる。といった感じだ。
さて、手元に『an・an 1997/2/21号』がある。ちょっと前の号だが、特集記事が「最新保存版 高い的中率!興味深い結果!だからおもしろい。血液型で判る性格と相性」とある。「保存版」ならばこりゃ貴重な資料として買っておかなきゃならんな。と、つい買ってしまったのである。
表紙にある類型によると、
- A型
- とても細かく気がつく、思いやりのある人。目立たないようそれとなく親切にするのが上手い。
- B型
- 凝り性で興味追求型、対象をひとつに絞った時の集中力は他の血液型の追随を許さない。
- O型
- 生きることに積極的で、いつも前向き。細かいことにこだわらず、おおらか。
- AB型
- 自分独自の世界を持ちながら人に話を合わせる天才。観察や分析が鋭く評論家タイプ。
だそうだ。
この頃は「占い」と言わず、「統計学」として女性誌でも認知されているらしい。統計学なら確率的に信憑性が高いのだろう。一般にこういう時に統計学という場合、いくらかの数のアンケートをとり、その傾向を数値化して並べる。その分布が二項分布や正規分布と言われるものに従うと仮定し、他の血液型における分布と統計的な検定を行う。その結果、二つの群の間に有意な差があるとすると、その二つの血液型の間には性格傾向の差がある。ということになるのである。
しかし、正規分布による分析をあてに出来るのは、いわゆる偏差値50のふつうの人の場合である。平均値±標準偏差の間におよそ50%の人が入る(で、合ってたかな。うろ覚え)ので、ふつうの人は結構な確率でこの分析が当たる。
悪名高い偏差値もこんなところで生き延びているのである。学力を偏差値で分けることに怒る人が何で血液型別性格傾向の統計学的類型に文句をつけないのか私には疑問でしかたがない。余談であるが、いわゆる知能指数で70以下の人は「知恵遅れ障碍」といわれるらしいのであるが、いわゆる知能テストで偏差値50の人を、IQ=100とするのが知能指数であるから、正規分布に従うとすると、反対側のIQ=130以上の人も「知恵進み障碍」として保護しなければならない。もっともかなりの確率でそういう人は大学の研究室の先生として保護されている。近頃話題のEQにしたって、それが指数である以上このような矛盾を孕むのだが、その辺りを気にする方は案外少ない。もっとも、EQの原著の方はそれほど指数を問題にしてる論調ではないようにも読める。翻訳とかその他の便乗本による影響だと思われる。
かなり話が脱線したが、今回の話は血液型別性格分類であった。が、かくいう私はすでに一通り「あなた{A,O,B,AB}型でしょう」を言われたことがあるので、あまり信用していない。言われたり雑誌の記事を見たりする限りはAB型傾向が強いとは思っている。そういう人のために、ちゃんと雑誌にも、「先天的にはA型だけど、後天的AB型気質のあなたの場合」という記事が親切なことにでている。
以前、バイト先で、
「村上さんって、A型かO型でしょ」
と言われて、
「日本の場合およそ、40%がA型で、あとO型30%、B型20%、AB型10%だから、AかOでしょと言うとおよそ7割の確率で当たるわな。」
と言ったら、
「そういう言い方って、いかにもA型ですよね。」
とその子を喜ばせてしまった。
「俺も初対面の人はデータがないから、やむをえずタイプ分けして考えるけど、ちょっと付き合いができて、その人の個性がにじんできたら「○○さんは××な人」っていう言い方こそすれ、「○○さんは、**型だから××だ」なんていう分け方しないよ。それじゃ他人の個性に対する冒涜だと思うからね。だから、俺はタイプ分けされるの嫌だな。」
「ふ〜ん、村上君って「タイプ分けされるのが嫌」なタイプの人なのね。」
敵も然る者である。
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当時の本 『BC!な話 あなたの知らない精子競争』竹内久美子(新潮社)浮気先で子供をこさえるのは倫理的に正しくないが、生物学的には正しい。つまり、これはBiologically
Correct. 動物行動学での竹内さんの師匠、日高敏隆先生との対談『もっとウソを! 男と女と科学の悦楽』(文藝春秋)と併読すると、この科学的猥談はおもしろい。
当時の世 消費税が5%になると、本屋での小銭の出番が増える。すでに、本体価格を切りが良いようにされてるので出番があるが…
当時の私 なんか文量多いよね。