[*]Invisible Force

Date: Sun, 03 Oct 1999

テレビを見ていると(と言っても、私の部屋には、相変わらずブラウン管な受像機はなく、おなじみHMDで見ているのである)いつもより、やや大きめな字幕が流れているのを目にした。(いや、毎度のように、しこたま飲んでいたので、スケール感覚がおかしかったのかもしれない。)どこぞの原子力の施設で臨界事故が発生したと報じている。一瞬、シュールなジョークのつもりか?と思った。

私は最近、新聞を取ってないし、テレビのニュースも見ないので、ニュースソースはその、ぼんやりとした記憶だけで、あとは憶測である。「あとは」というか、全部憶測である。

放射能と言えば、つい「ヤマト」とか「ゴジラ」を想起してしまう。遊星爆弾や放射火炎は目に見える。放射線はある種の測定機を使わないと検知できないそうだ。昔、物理部の人が電子工作でガイガーカウンターを作ってたのを見たような気がする。ガイガーってのは検出したとき「ガーガー」言うからだと思っていた。

まぁ、目に見えたところで、目というのがある種の周波数の電磁波を感知するというだけの話で、そのある種の帯域を「赤」とか「青」とか言っているだけである。だから、時折、私は「空が青い」のがとても不思議な気がする。

放射線 狭義にには放射性物質が崩壊するときに出るα線、β線、γ線の総称。広義にはX線や、中性子線なども含める。

X線だと、レントゲン写真なんかで、なんでか知らんが体の中身が写ってしまうので、「ほう、体を突き抜けるのか」「自分を解剖してみたことはないが、どうやら、骨は入っているらしい」と分かる。

放射線は「目に見えない」から怖いのだろうか。あらためて考えると、見えないものは多い。ガスコンロに火をつける。ガスの火は青いのに熱い。火がものを焦がす。焦げていく様子が見えるから、火の力があるらしいことは分かるけど、火の力そのものは見えない。あくまで作用が見えるだけである。

電子レンジは、澄ました顔で中のものを温めてしまう。理屈では電磁波でもって物の内部の原子を揺さぶって温度を上げるらしい。温かいものは、中の原子が振動してるのか。ふと見ると私の膝は自励振動をしている。一般に貧乏ゆすりと呼ばれるものである。私のうちに電子レンジがないのは別に貧乏だからではない。「チンする」というサ変動詞が嫌いなのと、やはり、あの澄まし顔でチーンと言われるのが、神経に触ってすさむ気がするからである。

「見えない力」。実は「力」は見えない。作用した結果が見えるだけである。

普段、地球の重力で、足をつかまれている様子が見えるわけではない。ただ、最近、体を動かすのが前よりしんどい気がする。重力が増したのである。「重」力という名前がますますもって重々しい。地球の重力加速度がここ数カ月で大きく変動したという話は聞かないから、たぶん、ここ数カ月で私の体重が著しく増加したのであろう。

質量1kgの物体に働く標準重力の大きさを1kg重とする。記号kgwあるいはkgfで9.80665N(ニュートン)。重量キログラム。

その辺りで、私の物理学は挫折している。加速をつけずに、そーっと物を運んでも疲れるし、階段を降りて、蓄えていた位置エネルギーを使ったとしても、やはり、疲れるのである。エントロピー増大の法則は、自分の部屋を見ていると、なんとなく分かる。

電気、ガス、水道などのいわゆるライフラインというわけでなく、私を生き続けさせている力はなんなんだろうか。生きているのは体に悪い。健康だから病気になる。止めるわけにはいかない。後戻りもできない。

被害に遭われた方には「不幸なことでした」としか言いようがないのだが、今回の事故を見ると、台北で倒壊したビルのずさんな構造とおなじように、「なんじゃそりゃ」と失笑を禁じえない不謹慎な私である。

「ちゃんとしてください」としか言いようがない。
その台詞を言おうとする度に、「俺、ちゃんとしてないな」と自爆する。

見えない力に後ろから押されて、見えない力に周りから拘束されて、見えない力に支えられて、生きている。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『養老孟司・学問の格闘 「人間」をめぐる14人の俊英との論戦』日経サイエンス編(日経新聞社, 1400円+税)日経サイエンスに連載されている対談。「科学とは実はものの見方である。」
当時の世 東海村で核臨界事故
当時の私 すこし、すり減っている。新宿の伊勢丹でダリの絵を見た。

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