[*]Smoked Mucci

Date: Sat, 25 Sep 1999

「わたしの記憶が確かなら」

というのは、カガタケシであるが、私はあいにくムラカミタケシである。その上、しこたまアルコールの入った後の「わたしの記憶」なので極めて怪しい。

わたしの記憶が確かなら、シェフMucciは自炊をしない。調理道具らしいものと言えば、ミルクパン1個しか持っていない。フライパンすら持っていない。なんでも作れるという中華鍋でも手に入れようかと思ってみたりするが、「どうせあんまり使わんだろうな。」と思って買ってない。

実はミルクパンでミルクを温めたことすらない。お湯を沸かしたことがあるだけである。「じゃぁ、やかんでいいじゃないか」てなもんだが、やかんを買うぞと決心して出掛けたとき、品名の札に「ケトル」と書かれていたのを見て「けっ! 気取りやがって」と思ってしまい買い損ねたのである。

わたしの記憶が確かなら、シェフは小さいころ、フライパンというのは揚げパンのことで、ミルクパンというのは牛乳を多めに練りこんだ生地で焼いたパンのことだと思っていた。「フライ」は「揚げる」ことだと思ってたら、どうみても「炒める」ことにしか使われていないのが不可解であった。

幸い、少年の頃は野球をしていたので、ファーストフライというのは、新品の油で、真先に揚げたカリッとしたフライのことだという勘違いはなかった。当然、ピッチャーフライが、緊張のあまり上がってしまったピッチャーのことだという風には思っていないが、しかし、ピッチャーに入ったビールを知ったのは二十歳を少し過ぎてからである。

フレンチフライは別にフランスにいる蠅のことではなく、フランスパンはフランス製の鍋ではない。バタフライは、バタバタ溺れる蠅のような泳ぎだからではなく、どちらかいうと蝶に近いらしいが、彼の足はイルカのキックである。すでにLとRの区別の苦手な日本人の様相を呈しているが、お米のかわりにシラミを食うようなことはしないし、シラミを皿に盛って出すようなレストランは営業停止である。

シルバーストーン加工のフライパンさえ手に入れば、さしもの不器用シェフMucciも、フライドエッグを作るのに間違って揚げてしまえるくらいにサラダ油を注ぎ込むようなことはないと言っている。だが、サニーサイドアップだと「おい、鬼太郎」と言われそうで怖いので、ターンオーバーにしようと思っている。あいにく、生卵を保存する冷蔵庫がない

フレンチトーストだってできるぞ。と言っているが、別にMucci氏はフランス料理のシェフを目指している訳ではない。かと言って、名前がイタリア風だからとイタリア料理のシェフであるわけでもない。彼はついこないだまで、イタメシというのは炒飯のことだと思っていたのである。でも、とりあえず、彼が頻繁に作るのは湯切りして作るスパゲティーである。ミートソースもナポリタンもカルボナーラもできるし、少し和風にタラコも使う。

Mucci氏は幼少の頃、親に「何か食べたいものあるか?」と聞かれて、「ピザを食べたい」と言って両親を驚かしたことがある。おそらく父は、「今日はフライデイだからフライ定食」と言って、近くの定食屋に拉致したかったのだと思われる。だがしかし、両親はその当時、ピザなるものを知らなかったため「なんでそんなハイカラなもん知ってんねん」と驚いたと聞く。幸い、ピザは今では宅配してくれるお店がたくさんある。

板前を目指そうにも、前に置くべき、まな板がまず無い。それにMucci氏のことだからまず、包丁を巻くためのさらしを探しに行ってしまって、肝心の包丁を手に入れずに帰ってくる可能性が高い。

Mucci氏は酒飲みであるから、つまみくらい作れたら良さそうかと思われるが、彼には「つまむ」という概念がないらしく、「さて、つまもうか」という時には、すでにつまみを食いつくしていたりする。彼は食べながら飲むということをあまりしない。空き腹に一気に流し込むようにして飲む。どうみても体に悪い。別に、いつか自分の肝臓のフォアグラを食材にしようと企んでいるわけではない。

しこたま飲んで眠っていると、なにやらいぶされてるような、コゲ臭いようなにおいがする。寝汗をかいて、なんだか酸っぱいようなにおいもする。「あぁ、ついに、晩に食った燻製のイカの呪いで、ぼくもイカクンになってしまうのか」と寝ぼけ眼で見てみると、コンロの上で、自慢のミルクパンが空炊きになって、取っ手の部分が炭化しはじめていた。

あやうくRoasted MucciかFried Mucciになるところであったが、もうすでにSmoked Mucci一丁上がりであった。ガス警報機も鳴ってなかったし、火を使い放しだと自動で停まると聞いた元栓も作動しなかったようだ。

燻製になったわたしは、少し賞味期限が伸びたかもしれないが、ますますもって鉄人への道から遠ざかるのであった。言うまでもないが、「自炊」というのは「自分を調理する」ことではないことくらいは知っている。

ちょっと脂汗が出たが、その程度では、皮下脂肪は減らないようである。
それにしても危なかった。

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当時の本 『あなたはもう幻想の女しか抱けない』速水由起子(筑摩書房, 1700円+税)フェミニズムから読み解く現代社会。ちょっと自説に持っていこう としてる展開が鼻につくような気もするがおもしろかった。さしずめ、 私は、第三章で論じられる「微変態クン」に分類されてしまうのじゃなかろか。
当時の世 近所のダイエーの混雑で、ダイエーが優勝したことを知った。
当時の私 焼死あるいは一酸化炭素中毒死未遂。やかんは漢字で「薬罐」 。元来は、煎じ薬を作る道具なのだろう。

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