[*]使用上の注意

Date: Sun, 15 Mar 1998

この「路傍の意志」に掲載されている物件は、主として、私の生活範囲の街に存在するものである。多くは現住所の横浜市青葉区だったりするが、別にこの街が変な街であるわけでなく。私が変な目で見て蘊蓄だか屁理屈だか因縁だかをつけているだけである。

おそらく、私が引っ越せば、ここに掲載されるものも変わる。出先でも、なんかないかなぁという視線で、つい街をキョロキョロと首を回し、ジロジロと見てしまう時があるが、街中には、「不審者を見つけたら110番」という看板が多いので、誰も信じてくれないけど小心者の私は遠慮して物件を取り逃がすことがしばしばある。

幸いにして、まだ職質を受けたり、任意同行を求められたりしたことはない。知らない街で迷子になって、任意出頭して道を尋ねたことはある。

いわゆる住宅街の場合、規格通りに作って並べた団地だかマンションだか分譲住宅だかが、きれいに区画されて並んでいるので、すっきりし過ぎておもしろくないこともあるし、過剰に規則的にすっきり並ばれたら、1本道がずれても似たような顔をしているので、迷子にもなるのである。

おそらく、普通の人は、普通に街で暮らしていて、別に怪しい物件のことは意識上にのぼらないのだろう。まったくの背景になってしまって、被写体そのものにはならないのだと思う。seeとwatchの違いだろうか。

街は人が意識的に作り上げたものである。言い換えると、意識を具現化したものである。人の意識で作られた街は、人の便利がいいようにコンビニが多い。個人的にはあと、薬屋とクリーニング屋と本屋と床屋が多く、電柱や壁の広告は、お医者さんが多いように思う。

意識が存在するところには、無意識が水面下の氷のごとく潜んでいるはずで、意識的に規格化し、すました顔をしていると、その無意識の噴出がかえって目立ったりする。多くの人は、自らの無意識の漏れに無自覚で、少し気づいた人も、それは「なかったこと」として意識的に塗り込めて取り繕う。その取り繕い方に新たな無意識の漏洩が見られたりする。

小難しく書いてるが、結局は、街歩きをしていて、道端からぼくを呼び止めるような声がした気がして、思わず「むっ!?」と声にならない唸りをあげたということである。


前の物件へ 路傍の意志目次へ 次の物件へ