[*]No Sumo King

Date: Sun, 16 Jan 2000 記

もう一月も後半になったのだけど、私のネタはまだ、三が日である。

ぼくの父は筋金入りのチェーンスモーカーであるが、このところその筋金もヘタって来たのか、昔のようにハイライトを吸いつづけることはないのだけれど、マイルドセブンライトを、「あんた、さっき火、消したとこやろ。」とツッコミたくなるくらい吸ってる。前に「なんで煙草を吸い始めたん?」と聞いたら、「周り見てたら、吸うのが大人だと思ったからかなぁ」と言っていた。

もう成長期はだいぶん前に終わったので、自分の体が大きくなったわけではないのだけど、なんだかしきりと部屋が狭く感じられた。実家の四畳半の茶の間は、タンスにいくらか空間を取られ、そこにコタツが置かれてるところに四人で座るので、なんだか、散らかしている自分の部屋よりも体感的に手狭であった。風景がセピア色に見えるのは、ノスタルジーではなくて、単に、部屋の蛍光灯のカサが、ヤニで茶色く変色しているからである。

そんな風景の中、偽の一家団欒の茶の間で駅伝をテレビ観戦する。ぼくは、マラソンや駅伝で沿道で旗を振る人を見るにつけ、不気味なマスゲームを見せられてるような気がして怖いので、コースを走る選手の様子に注目する。今年は、首になんだか丸いピップエレキバンみたいなのを貼るのと、ネックレスみたいなのをするのが流行ってるようだ。以前流行った、まるでサッポロポテトみたいなスパイラルテープのような効果があるのだろうか。カタコリニコフを強制送還させるのにいい方法はないものか。

駅伝も往路が終わる。ぼくも、そろそろ帰ろうかなと思う。「もう帰るんやったら、あんたんちまで行こか?うち、5日まで休みやし。一遍、行っとかなって思ってたし。」という母に、「あんたが、うっとおしいから帰る言うてんのに、ついて来んとってくれるか。」と、ええ歳して、弱い反抗期がいまだ終わらないぼくである。ま、来たとしても、散らかしてるぼくの部屋には、おかんが座る場所はない。

ふと阿呆リズムが浮かぶ。「人は、お母んから出でて、最期は、お棺に入る。」勝手に悦に入ってる場合ではない。

帰りの新幹線は座って帰りたいので、指定券残ってるかなぁと期待しながら緑の窓口に行った。「グリーン車しか空いてませんが?」貧乏臭いぼくは「自由席でいいです」と言った。あとで分かったことだが、余分なお金を持ってなかったぼくの財布は帰りの電車賃だけでギリギリだったのである。

プラットホームに上がると、ちょうど、ひかり号が滑り込んできた。扉が開いたのに、乗客の列が進まない。家族連れとかの団体様は、空席状況を遠目に眺めて一本見送る決断をしたらしい。ぼくは、その間をひょいひょい抜けて乗車する。一人旅は身軽だ。さっそく空席を見つけて体を沈めた。

3人掛けのシートの通路側にスーツ姿の男の人。真ん中にぼく。窓側はロングコートを着た女の人。ぼくは例によって意識過剰になって、肘掛けに腕を乗せないように両脇をしめて読書モードに入る。後ろの列では首尾よく座席をゲットした家族連れのお子様が、「うきゃ、うきゃ」と叫んでいる。こういうシチュエーションだと、だれもが意識過剰になるのだろうか。煙の匂いがしてこない。ぼくが駆け込み乗車したのは4号車だから喫煙車である。

視界の端の、となりの女の人は、窓の外をしばらく眺めたかと思うと、やおら携帯電話を取り出して、画面を見ている。それをひっきりなしに繰り返す。携帯を持たないぼくから見ると、すごく奇妙な光景であるが、あんまりじっと観察したら、車内で不審人物と認定されて、強面の車掌につまみ出されたりしたらまずいので、ほどほどにする。

うしろでは「もうすこし静かにしなさい」と注意する親御さん。「なんで静かにしないといけないの?」と大声で質問を返すお子様。お子様の使用はご面倒ですがデッキでお願い致したい。

ケータイとにらめっこが趣味らしい女性は京都で降りた。すると、やおら、隣のスーツの男が煙草を取り出した。やはり少し遠慮してたのだろうか。彼女が喫煙者であったかどうかは知る由もない。

名古屋までは各駅停車。米原で20代後半といった感じのラフな格好の男の人がパンパンにふくれあがったリュックを背負って、先ほどまでケータイ依存の女性がいたぼくの隣の窓側の席に座った。おもむろに、小脇に抱えていたマンガ雑誌を読みはじめる。

はて、小鼻は鼻の横のふくらみの部分だ。小脇に抱えるには上腕の、どの辺りで抱えるとちょうどいいのだろうか。小股の切れ上がった女の人はハイレグなんだろうか。そんなことは小耳にはさんだことがない。挟もうにもぼくの耳は動かない。

岐阜羽島あたりで、ラフ男君は雑誌を読み終えて、ポケットに手をやり、たばこを取り出す。ジーンズの後ろポケットに手を突っ込んだが、そこには何もなく、突然、網棚からパンパンのリュックを下ろしたかと思うと、中をゴソゴソ探りはじめた。ひとしきり探ったあと。「ちっ!最悪だっ!!」と囁く。

どうやらライターがないらしい。ぼくは、「火、貸してもらえる?」と聞かれるのではないかと、ビクビクしている。(こっちに、振らないでぇ〜通路側の男の人なら持ってるんだよぉ〜)と思いながら、一心不乱に読書している振りをする。心は目の前に、ご老人が立っているのに優先座席に座ってしまって、タヌキ寝入りをする若者である。

ラフ男君は、貧乏ゆすりというには、あまりに激しい動きで苛立ちを表現していた。(お願いだから、「火、あります?」って聞かないで〜)ぼくは喫煙車に潜む非喫煙者である。持ってる本は聖書ではないが、隠れキリシタンはこんな感じだったんだろうか。

名古屋を出ると、次は新横浜まで止まらない。長い長い静岡県が続く。「あぁっ!」と小声で叫んだラフ男君は勢い良く立ち上がって席をはずしてデッキに出掛けた。帰ってきた彼の手にはライターが握りしめられていた。そして彼は紫色の煙と共に平穏を取り戻した。

私は多少目がしみるのを我慢して、暫定の平和を取り戻した。

そして、すこしの旅ののち、散らかした自分の部屋に戻り、シュカッと缶ビールを開けると、真の平和を取り戻した。つもりになっている。

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当時の本 『菊次郎とさき』ビートたけし(新潮社, 本体1000円)たけしさんの両親への思い。「おいらは日本一のマザコンだと思う」んじゃ、ぼくは日本二にしておくか。
当時の世 センター試験ですか。
当時の私 『日経01 2月号』の「荻窪圭の検索猿人」でネタが紹介されました。検索のキーワードは「門松は冥土の旅の一里塚」

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ピップエレキバンは、ピップフジモトの製品です。
サッポロポテトはカルビーの製品です。
あ、そうだ。
ハイライトや、マイルドセブンライトはJTの製品です。