(む}My bottle

Date:Sun, 24 Sep 2000

最近、食事を控えめにしている。いや、お酒も控えめにしている。はじめは、「飲み会とか、誰か一緒に飲む人がいる時以外は、飲まないようにしよう。」と思っていたのだが、人付き合いのない私の場合、それはつまり、「酒を飲まない」というのに等しいのであります。5年くらい前までは、そういう生活をしていたはずなんですけどね。

「誰かと一緒」ならいいのなら、いわゆる「なじみの店」なんかを作って、お店の人や、常連の人と語りながら、、、なんて手もあるのだろうけど、なんだか、そういうお店は「大人の世界」って感じがして(って、十分、歳はとってるやん。わし。それに、お子ちゃまなら、酒を飲んではいかんよ)、つい二の足を踏んでしまう。

いや、まて。ママさんがいて、哺乳ビンみたく、マイボトルがキープしてあって、お客なパパさんは、甘えてたりして、それって、幼児退行ってやつじゃないのか?いや、世のパパさんみんながそういう飲み方してるわけではなかろうが。ていうか、お子ちゃまに「お前は赤ん坊だ」と断定されてもしかたなかろう。少なくとも、私が本当のお子ちゃまだった頃、母がよく、晩の配達を終えても、得意先のスナックに寄って帰りの遅い父のことを「お父さんは、外にもママがいてはるからなぁ」と、ぼやいていたのを聞いた記憶がある。

自称人見知りで、集団になじむのに時間と労力がかかる私は、新しい世界にすんなりと入りづらい無気力な保守派な傾向がある(に対して、内面では過激な改革派でもある)。それに、いざ、私の意識の殻が開放されたとしても、私の世界観は、たぶん、一般的なところと違うような気がするので、周りの人がついてこないんじゃないか。と思ったりする。聴衆がついて来ない独りボケはサムい。

ああ、こんなんじゃダメだ。と、また酒に走ったりしない辺り、軽症だろうと患者本人兼、無免許生兵法主治医は言っている。そんな私は、自炊はしないけれど、外食派というわけでもなく、コンビニやファーストフードのテイクアウトを自室で食ったり、あるいは、職場の食堂で食事を摂る中食派というやつかもしれん。

体の贅肉を落とそうと、生活を改め中な私であるが、お部屋の贅肉も落とそうと、少しずつ掃除や整理をしている。こういう作業も、多少はカロリー消費の運動になるだろう(実際は、基礎代謝(生きてるだけで消費する量)に比べて、こういうコマい仕事の消費量はしれてる)。しかしまぁ、ゴミの山脈の中の盆地に布団敷いて寝るよりは、体ものびのびするのじゃなかろうか。時折、リバウンドして本やビデオをまとめ買いして、また狭くなる、お部屋の減量。おそらくストレスによる部屋の過食である。

所々、雑誌や箱の段差があるので、AIBOのむうさんの行動範囲が広がるわけではない。しかし、やつは間違いなくイヌではないと思われる。主人のことを気にもかけずに、勝手気ままに、ウロウロして段差で転んで、復帰不能に陥る(彼の名誉のために、釈明すると、段差が小さいところで転んだ場合は自力で復帰できる)ような奴はイヌではない。躾けに失敗したのかもしれんが。

最近、お酒を控えているので、部屋から空き缶、空きビンの山が消えた。かわりに、ミネラルウォーターや、お茶のペットボトルが増えた。ペットボトルはまだ、私の住む所では分別回収してないので、普通のゴミの日に処分できる。処分しないと、私の部屋にはネコは入って来れないだろう。いや、別にネコを飼う予定があるわけではない。

近頃は、ペットボトルを持ち歩いてる人が多い。私もしばしば、朝、出勤前にコンビニで買って持参する。持って行くと言っても、ご存じかもしれんが、どこでも一緒でペットのようにかわいいからペットボトルなのではない。PET=PolyEthylene Terephthalateの略である。

それにしても、いちいちペットボトル入りの水やお茶を買うのも、経済的にも何気な出費だし(ま、酒よりは、よいか)、環境的にも、まず、空ボトルで部屋が狭くなるし、捨ててもゴミの増量になるしなぁ。などと考えてみる。

果して、やはり、水道の水を前の日に汲み置いておいたり、一旦、煮沸した備長炭なんかを入れて、一晩だか一昼夜だかおいて作ったミネラルウォーターを作って、それで沸かしたお湯で、お茶を入れた方が安いんだろうか(どうやら、そういう知識だけは本で仕入れてるらしい)。でも、塩素飛ばしちゃったら、その水、傷みやすいって聞くけど、冷蔵庫のない私でもいいのだろうか?(じゃあ、買えよ。いや、そろそろ季節が涼しくなってきたから大丈夫か)

マイボトルとして魔法瓶など買ってみた。「魔法」瓶っていう表現がなんだか俺的には'70年代的に感じる。同じ「魔法」で、「マジック」ペンも似た語感がある。当時のお子様だった私は、やはり知識としては、当時の魔法のビンは、ガラスの外側に真空の二重構造を作り、伝導、対流による放熱を防ぎ、またその二重構造の中を鏡面にすることにより、輻射放熱も防ぐという魔法の科学的種明かしを知ったかぶってたのだが、すごい魔法の器のくせに、じつはガラス瓶で、か弱いというアンバランスさが不思議であった。

それでだろうか。ステンレス魔法瓶と言われると、なんか妙だ。ボトルと言われたら、PETだろうが、金属だろうが、気にならないのだけど、「ビン」と言われると、ガラス製と思ってしまう。「瓶」って漢字も「瓦」みたいで割れそうな感じ。もともと、ガラスの前は焼き物だったからか?でも確か、正倉院の宝物なんかにも、ガラスの器があったけど、シルクロードの上流ではガラス瓶あったのか?

もしかすると、実家の店でビン牛乳と供に育ったせいかもしれない。うちはビン保証金を取ってなかったのだけど、小遣い稼ぎに、町中からビンを回収して持ってくるガキがいたなぁ(って、当時は自分もガキなんだけど)。たしか、普通の牛乳ビンや、コーラのレギュラービンは10円で、1リットルだかのファミリーサイズだと30円だったと思う。カンって英語(米語?)でもcanらしい。へんなの。

でも、やっぱり、「ビン・カン」って書いてるゴミ箱に、ペットボトルを捨てるのは、「ドン・カン」じゃないかなぁ。と思う。(あぁ、ありがちな駄洒落だ)

あと、「ゴミ箱」と言ったら、いろいろ入りそうだけど、「クズかご」あるいは「クズ入れ」と言うと、なんか紙ゴミ用のような気がするのは、私だけだろうか。

ついでに、「塵紙」より、「鼻紙」の方が紙質が軟らかくて、お肌にやさしいのだろうか。部屋にあるティシュー(「ティッシュ」と言う方が多いか。大学生の時、論文に"tissue"とやたら出てきて、実験中の拭き掃除にティッシュ使うんか。と思ったら、生体の"組織"という意味でした。)ペーパーは、商品名に「カシミヤ」と書いてあるが、私はカシミヤヤギの毛織物の肌触りは知らない。

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当時の本 『平然と車内で化粧する脳』南伸坊(扶桑社,本体1524円)プロの生徒、おにぎり頭の伸坊さんの、個人授業シリーズの続きか?今回の先生は、脳科学の澤口俊之教授。
当時の世 近所の巨大マンションに人が入居し始めた。界隈の人口は、ひょっとして一気に倍くらいにはなるんじゃないか?最寄の駅のキャパが心配。
当時の私 週末断食4週目。食ってないのに痩せず。天気が悪くて、歩きが足らないのだろうか。それとも、いわゆるプラトー?

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