Date: Mon, 16 Feb 1998
私の知り合いのM氏はアル中ハイマーを患っている。アル中ハイマーという単語は、アル中ハイマーなだけに不確かなM氏の記憶をたどると、山田風太郎さんの著作にあるそうだ。もっとも、M氏は駄洒落が好きなので、この本を読む前から言ってたような気もする。今も隣で「だじゃれをいうのはだれじゃ」と言っている。だからといって、この造語に対して、著作権を主張する気はなく、また、風老人に使用許諾願いを出すつもりもない。
M氏が毎晩のようにアルコールを摂取するようになったのは大震災以降である。大震災といっても、M氏はまだ若いので、関東大震災ではなく、阪神・淡路大震災あるいは兵庫県南部地震と呼ばれているやつである。地震によるPTSD(Post-Traumatic Stress Disorder)だろうと、M氏は言い張っているが、なんのことはない、生来の酒好きの発現の言い訳を大地震のせいにしてるのだろうとM氏を良く知る私は疑っている。
アル中ハイマーの症状としては、ボケの引き倒しがまずあげられる。ボケがひど過ぎて、ツッコミ介護してくれる人がいないため、いわゆる、かぶせと呼ばれる2段ボケをしてしまうというLevel 2の症状が出ている。
また、自分でツッコミまでやってしまう、ノリツッコミと呼ばれる症状も見られる。これは、ボケ役とツッコミ役の二つ。あるいは、オーディエンスや、マネージャー、ディレクター、プロデューサー、ライターといった分裂を見せる時があり、重度の多重人格障碍である疑いが否めない。
さらに、徘徊する傾向があり、時折、「おお、こんな所に異次元が漏れとる」と意味不明な語句をつぶやきながら、デジカメで写真を撮っているらしい。
このままでは「独居青年、アル中ハイマーで孤独死」などと週刊誌の中吊り広告の見出しになりはしないかと心配で、私はM氏に「生活態度を改めてはどうか」と提案した。おとなしくそれを聞き入れたM氏はその日、一切酒を飲まずに就寝したら、熟睡してしまって、翌日、仕事に遅刻したらしい。
どうやら、彼は摂取したアルコールが消化されてアルデヒドに変化することに伴う不快感で早起きになっていたらしいのである。私は、「朝起きをアルコールに依存してどうすんですか。」と厳重注意した。
なにごとにもやる気がないのもアル中ハイマーの症状の一つであるが、そのおかげで、自殺行為に対してもやる気がなく。見た目平穏に暮らしている。「しかし、そんなに酒ばかり飲むのは自殺行為ですよ」と注意したが、彼は「ま、いわゆる、緩慢とした自殺やね。でも、元気に生きるってこと自体が自分の寿命の消費を速めてるって気がしないかね。」と言った。
私はM氏のいう「緩慢とした自殺」という表現が、彼の同郷の中島らもさんの著作からの引用であることを知っている。また、彼は時々、らもさんに倣って、酔っぱらってからネタを書くことがあるらしい。多くのネタを彼は計算しながら書くので、自分では笑えないのだが、酔っぱらってから書くと、ただでさえ曖昧な記憶がさらに不確かになり、翌朝、目の前に残った原稿を見ると、まるで他人が書いたような気がしておもしろいのだそうだ。
「そう思うと、ワープロっちゅうのはいいね。ある程度、ブラインドタッチをマスターしとけば、漢字の誤変換こそあれ、判読可能な文書を酔っても書けるからね。以前、手書きでこれをやった時は、「なんじゃこりゃ、どこぞの古代文字か、宇宙人が来たんか」って感じやったからね。」とM氏はご機嫌である。
M氏はしきりと「夜が怖い」と言う。「怖いから酒飲んでわからんようにする。」と言う。「でも、酒飲んだら、こんど外部感覚が鈍くなった分、内部感覚が鋭くなって、妙に冴えて怖いが、夜の怖いのよりは快適な怖さだ。」「俺、酒飲んだ方が、人見知りとか引っ込み思案が軽くなんだけどな。」「この頃は頭に効く前に、体に効いてしまうのがいかんね。」「ちょっと飲んだ方が、世の中が鮮明に見える気がすんだけど、これは気のせいかな。」
私はM氏に言って聞かせる言葉を失いそうになって、つい感情的になって、M氏に言った。
「いつもいつも酒臭くて、しらふな時はないんですかっ!!」
「俺が、しらふな時はあんたじゃないの」とM氏は言った。
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当時の本 『語る禅僧』南直哉(朝日新聞社, 1600円)禅は不立文字と聞くし、禅問答なんて屁理屈のゴネ合いみたいだが、この禅僧の言葉は興味深い。
当時の世 ぬくい(一応関西人なのでこの語彙を使う)ので春も近いかと思ったら、雪が降った。
当時の私 ということで節酒することにした。M氏は「今宵が酒の呑み納めか」と嘆きながら大酒をくらっていた。