[*]Room for room 7

Date: Sun, 7 Feb 1999
Mon, 01 Mar 1999 記

引越篇も随分と引っ張った。そろそろ、完結させねばなるまい。しかし、言うまでもなかろうが、いまだ、私の部屋はダンボールハウスの様相を呈したまま、なんら進展をみせてないので、実は完結していないのである。

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やっとこ拠点を移動しようという日がやって来た。私は朝起きて、「よし」と別に入れなくてもいい気合を入れる言葉を発していた。

横浜市青葉区総合庁舎には先日の契約の時に住民票を取りにいったので、ほんの2回目にもかかわらず、もう手慣れたもののつもりの本人である。だが、今回は住民票ではなく、転出届けである。書類を滞りなく記入し、今回は念入りに捺印までした私は、「本人であることを確認するもの」であるところの免許証を握りしめて、窓口に向かった。

そういえば、今度の4月の誕生日には免許の更新だ。結局、一度も乗ってない。住所の更新はその時についでにしようと思う。
さて、転出届けの時は、印紙を買う必要はないらしい。手続きは滞りなく終わった。窓口の係の人に
「おつかれさまでした」と言われて
「いやいや、それほどでもないよ」とボケそうになったが、
あいにく、手続き関係は苦手なので、正直言って、少しだけおつかれであった。

「転入届け」というのは、果して、転出のその日のうちに出してしまっていいのだろうか?
あるいは逆に、出してない間は私は住所不定の怪しい奴なのだろうか?

という疑問に苛まれながら、私は引越先のある川崎市多摩区役所を目指して、電車に揺られるのであった。事前に地図で区役所の位置は確かめてある。私の持っている地図は古いので「建築中」とある。そういえば、青葉区役所もそうだった。都庁のサブセットのような感じで改築計画が持ち上がっていたのに違いない。

東急、JR、小田急と乗り継いで、向ケ丘遊園駅にたどり着く。ちょっと周囲をうろうろしたのち、少し先に、ちょっと偉そうな建物を見つけて「あれが、やはり総合庁舎に違いない」と歩き出す私だった。

住民票関連はその立派な建物の1階にあった。書類を一通り書き終えた私は、窓口に向かった。
「何かご本人であることを証明できるものはお持ちですか?」
私は、「控え、控えぃ!」とばかりに免許証を差し出しながら、

おや?そういえば、こういう場合、俺の免許証は旧住所だぞ?ええのんか?と思う。

窓口を見ると、なにやら担当の係の方が私の書いた書類に朱を入れている。「49-5」と書いてあったのを「49番地5」と書き換えている。「ああぁ、フォーマット。様式。お役所仕事なのね。」と思う。
担当の方が言う。「生年月日言ってください」
「えっと」と別に間をおかなくてもいいのに、間を置いて答える私。

う、不自然な間を作ったのでは私が本人でないことになってしまうかもしれない。
ああ、本籍地を聞かれると、そらでは答えられなかったな。

と思う。「でも、誕生日を聞くのがお約束なのかもしれんな。」とも思った。

係の人が言う。「・・くには独りでお住まいですか?」
よそ事ばかり考えてたので始めの方を聞き逃した。あいまいに「はぁ」と答えながら、「ああ、「多摩区には独りでお住まいですか?」って言ってたんだ。」と思い当たる。
「他に手続きされることがなければ、帰っていいですよ。」
思わず、「他に、何かすることあるんですか?」と聞く私。
「なければ、帰っていいですよ。」
「あ、はい」

区役所を出ると、すぐそばにNTTがあったので電話の手続きもすることにした。やはり、「ご本人であることを・・・」と言われて、「まだ手続き済んでないんすよ」と意味不明の言い訳をしながら頼みの綱の免許証を出す私であった。

ああ、ぼくは、間違いなく、ぼくなのにな。

権利とやらをどこぞで買えば安上がりらしいと、人から教えられていたのだが、面倒なので済ましてしまった。おかげで8万くらいかかった。でも、寮ではつけられなかったテレホーダイをつけた(寮の中は交換機を通した専用回線だったのである。)受話器を使う時間よりもモデムを使う時間の方がはるかに長い私には必須である。

後日、同じ寮の人に手伝ってもらって布団と残りの荷物を運んで、その翌日、寮に戻って部屋の最後の掃除をした。改めてまとめると「最後の日に自分の手荷物にすればいいや」と置いてあった荷物は手荷物というにはあまりに重かった。管理人さんに挨拶に行くと「頑張ってね」と餞別をくれた。中身は靴下だった。

どっこいしょと、最後の荷物を持ち込んで、私は新しい部屋のブレーカーを上げた。インターフォンが「ピ〜ンポ〜ン」とけたたましく鳴る。そういう仕様なのだろう。玄関の明かりが点く。でも、居室用の電灯を買ってきてない。そういや、カーテンだってない。じんわりと目が慣れてきて、暗がりでも結構見える。でも本を読めるほどではない。

冷蔵庫もないけど、寮にいる頃も、朝飯抜き、昼晩は会社の食堂。夜は帰り道のコンビニという生活で成立していたから、いらないかな。駅の周辺にコインランドリーは何軒かあったけど、洗濯機くらいは買うかな。と思いながら、コンビニで買ったインスタントラーメンを手にしつつ

あ、俺、熱湯を手に入れる手段がないやん。

と気付く。風呂に入れれば火傷できる程度のお湯は湯沸器から出てくるが、沸騰に近い熱湯というのは出ないのである。しまった。

あう、やかんかポットでも買わんと、インスタントがちっともインスタントやないやないの。

パリポリとかじれるベビースターラーメンの導入を真剣に検討しようかと思った。

そうして、私の万年床の初めの一か月が始まったのである。

第一部完

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『怪獣神話論』八本正幸(青弓社 PCCブックス3, 1600円)怪獣映画から読む人類。ちょっとオタクの暗黒面(悪乗り?)文体が気になるけれど、評論というより、オマージュ、想い入れというか「好きなんだなぁ」って感じ。
当時の世 なんか脳死がどうのと騒いでるらしい。「臓器がまもなく・・・」という報道を聞いて、「なんとなく、物っぽい扱いだな」と思った。
当時の私 休日の過ごし方を忘れたらしく、変な感じ。布団干したから完全万年床でもない。

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