Date: Tue, 12 Oct 1999
体育は、どうしても「たいく」と読んでしまうので、「たいく」とタイプして変換すると、「体躯」になる。いまどき、「躯」なんていう漢字は使わない。失われた身体と思っていいい。旁(つくり)の部分が身体という箱に内臓を納めてる感じでおもしろい。身体の作りの感じを表した旁の漢字である。
10月10日は目の愛護デー。
私は中学生の時に、電車の中で、見ず知らずの人にいきなり、「君、眼鏡かけても、あんまり賢そうに見えないね」と言われて以来、あんまりかけない。別に賢そうに見せたかったわけではないのだが...
免許証には「眼鏡等」と書かれているが、日常生活にはあまり支障はない。
9日と11日は働いたので連休はなかった。10月10日はささやかな歩け歩け大会を開いた。体育の日の散歩と、目の日の路上観察がオーバーラップしてちょうどいい。
私は、いつのまにか、メデューサと目が合ってしまったらしく、首から、肩、背中にかけて、石化が進んでいる。カタコリニコフはまだロシアに帰らない。たぶん、全身が石になることはないだろうと私は油断している。上からは肩こりが、下からは腹の皮下脂肪が胸を圧迫する。肺活量が比較的大きいので、ため息は大きい。
実家から「元気か?」と留守電が入っている。目一杯疲れた声で電話をかける。「元気そうでなによりだ。」と言われる。
あいかわらず、「ええ人おらんのか?」と言う。私は「友達」とか「恋人」とか「ええ人」という単語は知っているが、意味を知らない。
酒を飲んでいる間は、ダルいのを忘れる。外の喧騒をよそに、自分の中で喧騒があって、それはそれで面白い。カタコリニコフ氏はウォトカをご所望らしいが、私はビールでいいやと思う。でも、翌日、身体からのRevengeがあることは容易に予想できる。「節酒するぞ」と宣言してから、かえって摂取量が増えた。日本語は同音異義語が多くて難しい。「摂取量」という表現が似非理系チックである。
「大丈夫、大丈夫。」と自分でいう酔っ払いほど大丈夫でない奴はいない、という説にならうと、まだアル中ではないと主張する私は、すでにアル中である。
でも、一昨日の晩は飲まなかった。腹の中で胃が動いて、一晩中「グーグー」と鳴っていた。「酒をくれ」といっているのか、「もうけっこう」と言っているのか私には計りかねた。
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当時の本 『村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ』(文藝春秋社,
1714円+税)オーバーダビングされたような装丁が気に入った。
当時の世 カレンダーは連休になっていたらしい。
当時の私 とりあえず私は消耗品である。
会社で残業時間前の休み時間に、朝日新聞のWebを見てたら、「一太郎10、成人の日はいつ?」なる記事が出ていた。来年から、成人の日と体育の日はそれぞれ、1月と10月の第2月曜日になるらしい。それを開発元ジャストシステムは知らなかったそうだ。実は、私はこの記事を見て、はじめて知った。ま、カレンダー通りには休みを取れてないからいいけどね。 1999/10/21追記。 たぶん、目の愛護デーは動かないだろう。祝日じゃないけど。