[*]Graduation

Date: Tue, 20 Jul 1999

私は、朝、何度か目が覚める。何度目かに目が覚めた時に、外で雨垂れの音、特に大雨の音がしていると、「あ、今日はお休みだな」と思ったりする。さらに言うとなんでか「今日は学校はお休みだな」という感じなのである。

無論、私は自覚が薄いとはいえ社会人であるし、月に一回は給料を貰ってるし、先日には、「賞与」というのには申し訳ないくらい活躍していないのだけど、棒茄子をいただいている。実感が定かでないお金は、ある意味、あぶく銭か使途不明金であるから、怖くて使えないので、入社してこちら、月給にしか手をつけていない。ま、先日下ろした3万円のうちの諭吉先生一人分はひょっとすると棒茄子の浅漬かもしれない。

未だに「あ、今日は学校は休みだ」なんていう迷走をする私は、しばしば、「学校を卒業できない夢」を見る。現実の私も大学を出る時には、なんやかんやとあったので、「ほんとに卒業できないのではないか。」と本気で思っていたのだが、なんとかかんとか今の私がある。

夢の中の先生は大学の時の教授は当然出てくるのであるが、高校の時の先生も混じって出てくる。この辺り、私の授業に対する習熟度が義務教育あたりで停まっていて、高校くらいからはいまいちどころか、全然自信がないことの表れであろうと思っている。

明確な夢の結末を迎えないまま(いや、単に覚えてないだけかもしれないが)本来の目覚めを迎えて、「あ、仕事にいかなきゃ」と思う。

私は、「卒業」という単語になんらかのトラウマがあるようである。小さい時に母親から、「そういう遊びはそろそろ卒業しなくっちゃね」と言われて以来、「何が卒業なんだろう」と違和感を持ちつづけている感がある。ついでに大学の卒業式もさぼってたりする。授業をさぼる人が、結構、卒業式をさぼってないのが不思議だなぁと思っていた。

そう、「やればできるじゃないの」という言葉も私は嫌いである。ひょっとすると褒めているのかもしれないが、どう聞いても、私には「なんで、普段から、ちゃんとやらないの」という叱責の言葉にしか聞こえないからである。

ファーストフードでバイトしていた頃、親子連れのお客様がいて、そのお母さんが子供を叱る時に「ほら、あそこのおにいちゃんに叱られるよ」と言ってるのを何度も聞いた。この言葉もあんまり好きじゃない。「なんで、俺が叱ることにするかなぁ。直接あんたが叱れよ」と思った。

平日昼間は仕事をしている。いや、夜もしている。一応、私は勤務時間で勤怠の管理をされる人である。思わず「学校に行ってた頃の方が、いろいろ頭も使ってたし、拘束をうけてたような気もするけど、その時は、別に給料はついてなかったんだよなぁ」と思う。いや、実働時間で考えると、今の方が長いし、仕事を頭を使わずにやってるという意味ではないし、学校の問題とは違う困難があるし、失敗も多い。

徹夜明けの朝に、コンビニで、おにぎりと缶ビールを買って、なんだか校則で買食いは禁止されてるのだけど、みたいな、うしろめたいような、規則を破ってせいせいするような妙な気分に未だになる。

眠さと疲れで、だるさと吐き気がするのに、普段食べない朝飯をかき込みつつ、日も高いうちからどころか、日も上らないうちからビールを飲んで、枕に頭を載せながら、「ああ、今朝は今から寝るから、何度も起きれなかったし、夢も見てないな」と思う私なのだった。

私の人生よりも歴史の浅い「海の日」に、再び私が目を覚ました時、お日様はすでに傾きかけていた。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『新釈落語咄』立川談志(中公文庫, 590円+税)「家元の咄はおもしろいねぇ。八っつあん。」「あたぼうよぉ」
当時の世 蝉の脱け殻を見つけた。そういや鳴き声もする。
当時の私 土曜日は近所の花火大会の打ち上げ場所が近くて、すごい爆音がした。でも、斜め上ではなしに、上で広がる花火が見れた。

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