[*]I am a SALARY-MAN.

Date: Mon, 02 Jun 1997

毎朝の通勤電車は混雑している。そろそろ、全面的に冷房がかかる時期かもしれないが、場合によっては、窓を開けて車内換気にご協力してさしあげなくてはならない。それにしても、なんだかスーツというやつは他の服装に比べて暑苦しい。

私はたいがいの日はワイシャツにネクタイをしてスーツを着て通勤している。厳密に言うとワイシャツというのはwhite shirtから来たらしいので、線が入ってたり色がついてたりする私のシャツはワイシャツではない。

先輩のA氏曰く「スーツ着て来なかったらさぁ。電車の中で他の人に学生と間違われて、なめられちゃってさぁ。」スーツを着ただけで、それなりに立派に見えるのならば、ただ着れば良いのである。もう少し細かく検証すると、この発言の中には「学生=なめて見て良い存在」という等式を他者に適用することを可とする、発言者自身の持つ「俺は社会人なんだから、学生よりもえらい。」という前提意識が見え隠れしていて、私には嫌らしく感じられるのだが、そのことを直接指摘すると、しばしば、「きついこと言うねぇ」と言われるので、言わないことが多い。

同期のB氏曰く「なんで、私服着てこねぇんだよ。」私にしてみれば、スーツだって、その費用は私の財布の中から出ているのであり、会社の貸与品ではない以上、これは私服である。これは以前、直接指摘したことがあるのだが、その時は「なに訳のわかんねぇこと言ってんだよ。」と無下に扱われた。私には訳のわかることが、彼には訳がわからない。こういう状態を一般に「話にならない」という。しかし、もう少し検証して、「私服=カジュアル,スーツ=フォーマル」という式を導入するといくらか「話になる」ようになる。

ただし、この式を導入した場合、スーツは形式化し、よそ行きの服と化す。したがって、出張に行くときだけ着るおべべになるのである。でも、デスクワークならまだしも、なんらかの体を動かす作業を伴う場合、このスーツというやつは機能性に欠けるところがある。そうすると、作業服と兼用できるという点での私服の導入は意味があるように思う。では、華美でファッショナブルな服はいけないのか? いや、その人の仕事内容が、その服が汚れたり破れたりする危険に晒されるようなものではなく、きれいなかっこいい服を着ることによってその人の精神衛生が保たれ、良い仕事ができるのならば、けっして軽視のできない問題なのである。

形式化された服とはつまりユニフォームである。ユニフォームはそれを見る人の思考にいくらかのバイアスをかける。電車でスーツを着た人を見ると、無思考に「ああ、サラリーマンだな。」と認識するのである。職場で作業するのにジャンパーを羽織っていたら男子社員だろうし、スモックを着ていたらおそらく女子社員である。近頃は社会全般にトランスジェンダーやトランスセクシャルの人も認知されつつあるとはいえ、会社社会にはまだ認められていないだろうから、おそらく、この上着による見なしは間違いあるまい。

つまり、私がスーツを着るのはロールプレイングゲーム「サラリーマン」における重要アイテムを身につけたコスプレなのである。この「サラリーマン」における重大イベント、通勤電車についても論じようと書きはじめた本文であるが、服の話をしているうちに適当に増えたので、通勤の話はまた時を改めて述べることとする。

それにしても、満員電車に揺られている時に、目の前の人がヘリンボーンの柄のスーツを着ていると目が回ると思っているのは私だけであろうか?

ついでにもう一点、センターベントやベントなしのジャケットを着て、ズボンのポケットに両手を突っ込んで歩くのは止めて頂きたい。ジャケットがまくれ上がって、ぺろんと「コンニチハ〜」と顔を出したお尻はあまりカッコいいものではない。サイドベントのジャケットだとこの事態を回避できることもあるが、あまり頂けない。まだ、ジャケットの前ボタンを止めずに前から手を回してズボンのポケットに手を入れる方が格好が付くと思う。ってのも私だけであろうか?

その逆に、お店ののれんをくぐる時、かがんでのれんに触れないようにしてくぐるのは止めて頂きたい。言うまでもないが、触れないようにさらにリンボーダンスのようにして通るのはもっと頂けない。のれんは手でかかげつつ、くぐるものである。と思っているのもこれまた私だけであろうか?

「サラリーマン」という和製英語もそろそろ、使われ方が自嘲的な冗談のようになってきたように思われる。「会社員」と言った方がしっくりくる気がする。「ナイター」が駆逐され「ナイトゲーム」ということが多くなってきたように、いずれ消えゆく呼び名なのかもしれない。でも、けっこう生き残るかもね。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS---------------------------------------
当時の本 『<性>のミステリー 越境する心とからだ』伏見憲明(講談社現代新書)トランスジェンダーやトランスセクシャルの捉え方を知る上では分かりやすい本である。
当時の世 伊良部ヤンキース入団
当時の私 デジタルカメラ(スチル&ビデオ)とフィルムスキャナとDVDプレイヤーを欲しいと思っているのだが、いざ、お金を握りしめてお店に行ったら、買う気が失せてしまった。

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