「”Vacation”をバカチオンと覚える中学生が、あとを断たない。」と全国の担任の先生はお嘆きである。
平日に、別に体調が悪いのでもなく休んでいるというのが、なんとなく心持ち的に、ズル休みっぽくて良い。なんていう感じ方をするのは、ちょっと倒錯してるだろうか。そう、私は夏休みを取ったのである。いつも健康というほどでもなく、どっちかいうと微妙に不健康な日々を送っているのだけど、体の調子を崩して仕事を休んだ記憶のない私である。有給休暇の消費はもっぱら遅刻の振替だ。
新幹線で帰省する度に思う。「なんで、こんなに静岡が長いのだ。」まぁ、新横浜と名古屋の間の駅が全部が全部、静岡県というわけではないのだけれど。三島駅で富士山が見えたりすると、「普段から背景に富士山があると気分が違うのだろうなぁ。」と思う。だから銭湯の壁の絵として、富士山がよく採用されていたのじゃないかと思う。
岐阜県あたりを通過する時、いつも思う。「雲が低いよなぁ。」いや、地面が高いのかもしれない。綿菓子みたいな積雲が手が届きそうなところでふわふわしている(届けへん。届けへん)。京都に抜けるまでの間に靄がかかったような天気になることも多い気がする。自動車で帰省する人なら、天王山トンネルはいつも渋滞している、みたいなもんだろう。
もやを抜けると都っていうのも、なんとなく劇的なんだろうなぁ。と思う。ふと、「ひかり」よりも、「のぞみ」の方が速いのだから、テレパシーは光速を超えるのであるな。と独り納得。きっと虫の報せの虫の運動能力はとてつもないと思われるが、それ故にか、いまだ捕獲されたという噂は寡聞にして知らない。
駅から列車を眺めてみると、昔、駅弁とセットで買った、妙にずんぐりした容器の苦いお茶でなくて、冷たいお茶のペットボトルが窓のところに並んでいる。違う人達が、窓の下の同じような場所に同じようなペットボトルを置いて、同じように肘をかけて、頬杖ついて、同じようにぼんやり外を眺めている光景が、なんだか、気味悪くも微笑ましい実験的フィルムのコマ送りを見る感じである。
一時期、「キモカワ」なる単語が使われて、それは「気持ち悪い、けど、かわいい」という意味だったらしい。間違っても、アンキモやらカワハギは関係ない。そういう人は、ナマチューを「投げキッスとか、間接キスではなくて、直接キスすること」と勘違いしている可能性がある(ない、ない)。「キモい」という単語は「気持ち悪い」の意だと思われるが、関西系だと「きしょい」の方がポピュラーだろう。こちらも「気色が悪い」の略である。最近は「めっちゃ」が全国区で普及してしまっているので、「めっちゃきもい」という方もいるだろうが、まだ、「めっちゃきしょい」の方が正解である。「はずかしい」を「はずい」という人もいる。「めっちゃ」を「めちゃんこ」と言ってしまうと、少し「はずい」。
駅に下りると、ドッと汗が出て、服が肌に張り付く。空はよく晴れているのに、一人、スコールにあったようで、なんだか格好悪い。でも、ま、ベースが別に格好いいわけではないしな。と思いなおす。そんなに暑いというのに、ヘッドフォンをしたまま歩いている人がいる。私がそんな真似をしたら、中耳の管の中は水浸しで、翌日の外耳は汗疹の巣窟であろう。
下宿の近所のばあちゃんが「したいから汗が」って言うので「はて?死体が汗をかいてどうすんだ?」と一瞬思って「ああ、額から汗か」と思いなおす。おばあさんは「しかげに入って、しるねしないと」と言い残して立ち去った。なるほど、あさししんぶんの国だと思う。
私はこう見えても「質屋」が「ひちや」で、おばさんは「おばはん」な国の人である。駅のエスカレーターで「お歩きになる方のために、左側をお開け下さい」というアナウンスをされて、夏のBGMがクマゼミであるのをみとめて、「関西ですなぁ」と思う。普段は右側を開けて、アブラゼミやミンミンゼミがBGMだ。関西だと逆に町の中にミンミンゼミはいない。
町をゆかたで歩いている人が結構多い。盆踊りとか花火大会の季節だからだろう。雑誌やテレビで、「今年はミニ丈のゆかたが女の子にウケてる。」みたいな紹介がされてても、現物に出会うことがなかったのだけど、「あ、ほんとに居てる」でも、なにか新味な感じがしない。どちらか言うと懐かしい感さえある。ふと、思い当たる。「ああ、ドロロンえん魔くんの雪ちゃんだ」ま、眼前の彼女は雪女というには小麦色なのだが...
小麦色って言っても、私は実際の小麦の色を知らない。キツネ色でもキツネの色を知らない。なにやら人種問題に抵触するからと、肌色という表現は控えているメーカーもあると聞くが実態は知らない。それを言うのなら、よほど「美白」という言葉の方がどうかしている。テレビや雑誌は「ガングロヤマンバは絶滅の方向にある」というが本当かどうか怪しい。現に、絶滅すると言われたルーズソックスは定着してしまっている。
私の父は、ヤマンバというよりはナマハゲであるが、天然のガングロなので、保育園児の時の私は父の似顔絵をコゲ茶色で塗って、先生に「よく観察してますね」とほめられたことがある。ご当人はトホホであったらしい。
しかしなんだ。「和服なら、襟足からうなじであるし、裾からちらりと見え隠れする脛ではないのか!! ひざ小僧まで出してどうするんじゃぁ!!」と一人、心の中で力説しながらも、ちらりちらりとそちらに目線をやるのだから、困ったちゃんは私である。ま、お洋服でも目のやり場に困る今日この頃なのだけど。
着物の人が、裾がはだけないように、帯の少し下の腰の辺りを手でそっと押さえる仕草があるけれど、階段で、後ろからのぞかれないように、短いスカートの裾を片手で押さえる仕草はその系譜なのかなぁ。と、ぼんやり思う。たぶん、男だと、裾を端折って、駆けて行くのだろう。透明なバッグを持った女の子を見ると、つい、「学校の開放プールの帰りですか?」と思ってしまう私の頭は小学生レベルである。
やっとこさ実家にたどり着くと、母上様が、「どう、ええやろ」と、お召し物の自慢をなさる。どうやら流行ってるらしいピンク色のクロップトパンツらしいのだが、今時の足の長いおねえさんが履けば、いい感じでふくらはぎの辺りに裾がくるのだろうが、私の親なだけに背がちんまくて、足も長くないので、どうみても、丈を詰めるのをちょっと失敗した長ズボンなのであった。
ストレッチ素材をパンパンに伸ばして、豊満な、おいどさん(いや、そんな関西弁は普段使わないですけど「おしり」のことです。)を収めたレッグラインをおざなりに眺めつつ「ええんちゃうの」と私は、てきとーに答えた。
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当時の本 『語源の快楽』萩谷朴(新潮文庫,514円税別)古典によって、言葉の源をたどる。分かるとなるほど腑に落ちる。
当時の世 新500円硬貨も登場
当時の私 チャリ焼け。ヒリヒリ。
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なんですね。実は。で、私は小田原で降りて路上観察
「ドロロンえん魔くん」は永井豪原作。S48年度にフジテレビでアニメ化されています。