[*]Family restaurant

Date: Sun, 27 Sep 1998

「一人で飲んでることが多い」

とかいうと、

「行きつけの店があるのか?」

という話の展開になることが多い。あいにく、自室や路上で済ますことがほとんどなので、そういう店はない。あえて言うなら、23時過ぎても動いている寮の自販機は「行きつけの自販機」ではある。

この自販機は、なじみの客に対しても頑固な態度で、ちょっとお札にシワがあったり、手持ちの釣り銭が少なくなったりすると、私の差し出す千円札を受け入れてくれないことがしばしばある。そういう時は、無神論者であるはずの私が「あぁ、これは『今日は飲むな』という神のお告げなのだろう」とおとなしく引き下がってみたりする。

この神は、たいそう私の身体の具合を心配しているらしく、近頃はさっぱり千円札を受け入れてくれない。仕方がないので、500円玉を入れると、パンの麦と、ワインのアルコ−ルのかわりに、ビ−ルを下さる。なんだ、神様は私を心配してくれてるのでなく、単なる気まぐれだったのだ。やはり、賽銭は「銭」なだけに、紙幣よりも硬貨の方が効果があるのだ。どうやら、ビールの飲み過ぎ親父な駄洒落を言っている私だ。

行きつけのコンビニはある。しかし、いい加減コンビニ弁当は食べる前から味を想像できてしまって、味気ない。たまに、定食屋みたいな所に行って、調理中の鍋や包丁の音を聞くと、味が変わる気がする。いや、当然、舌で感じる味そのものが、コンビニ弁当とは全然違うのだが(単価も全然違うが)、耳で聞く調理音にも、グルタミン酸ナトリウムもとい、味の素もとい、うま味要素があるのではないかと思う。

そういった店で、たまにお茶碗によそわれたご飯を食べると、なんだか触覚的にもウマイような気がする。コンビニのプラスチック容器のご飯もお茶碗に入れ換えれば味が変わるのだろうか?ビールだって、缶から直飲みするより、いったんグラスに注いだ方が、くどさが減っていい気もする。でも、自分で箸は持ってても、お茶碗は持ってない。上記の実験をするにはまず、お茶碗を買わなければならない。

私は定食屋やファーストフードはよく利用するが、ファミレスには行かない。何故か? ファミレスはその名前ゆえに、「ご家族でのご利用」しか受け付けてないのではないか?という強迫観念というほど大げさではないけど、思い込みがあるのである。

さらに、この問題の奥底にはおそらく、なんらかの潜在的な抑圧<トラウマ>が存在しているに違いない。

そう、私が小さかった頃(って小さい頃の話多いね。ぼく)、たまに、外食するとなると、まず、母が

「たまには、おかあさんにもサボらしてや」

と言う。そして、一家でどこぞの食堂のような所に行く羽目になる。そういう、こじんまりした店ってのは大概、親のやってる店のお得意先である。店の人と親はすっかり知り合いである。お店の人が言う「まぁ、よお来たねぇ。」なんだか親と店がグルになってる気がした。

いざ、ファミレスに行く前となると、先の母のお約束にさらに、父の十八番が炸裂する。

「ええとこ行くねんから、おめかしして、一張羅着て行かな。」

すでに私はトホホ感にさいなまれて食欲が減退している。ファミレスに着く。どうも、居心地が悪い。6畳より広い部屋は私を不安にさせる。メニュ−を見て「これがいい」と親に指さして示す。

「なんや、たけし、そんなハイカラなもん知ってるんか」

ハイカラて、あんた明治維新の人か。

さすがに得意先の店ではないからか、親父のギャグも暴走状態にまでは至らない。しかし、ごちそうさまして、いざ帰ろうとする段になって、親父がついに、伝家の宝刀(といっても、親父一代しか持ってないから、厳密には伝家ではない)を抜いてしまうのだ。

「うわ、財布にお金入ってないわ。誰か人質に置いていかなあかんわ」

このネタを聞く度、私は食後の満足感が急速にしぼんでいき、しかし物理的にはしぼまない満腹のおなかに違和感を感じるのであった。

そう、あまりにウェットな、いやベタベタなネタがトラウマの正体なのかもしれない。しかし、行きつけの本屋やコンビニで順番に並んで、バーコ−ドで処理されるのもどうもドライでいけない気がする。でも、たまにトラウマを乗り越えてファミレスに行くと、オーダーをその場でPOSの端末に打ち込まれるのにもなんか違和感を感じてしまう私なのだった。どっちやねん。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『弥次喜多 in DEEP 1』しりあがり寿(アスペクト, 1000円)『真夜中の弥次さん喜多さん』の二人はお伊勢さんをめざす。その道中は夢かリアルか。妄想か現実か。
当時の世 貴乃花優勝。
当時の私 近頃騒がれている洗脳ってのが、横綱の品格にどれほどの影響を与えるかは知らないが、結果だけ見る限りは、横綱の仕事であると言える。世の中「洗脳ネタ」で洗脳されてんじゃないか?判官びいきで若乃花を応援するのは失礼だからやめた方がいいと思う。

ファミリーレストランというのは和製英語です。

目次へ戻る