Date: Mon, 13 Jul 1998
先輩のIさんの嫁さんが「おめでた」と聞いた。結婚される前なんかは、仕事の打合せをしていても、「あかん、先生、地上から何ミリか浮いてはるわ」という状況であった(関西人が人を「先生」と言う場合は、あからさまなお世辞か、あからさまな冷やかしであるから、私はなるべく使わないようにしている)が、果してお子さん誕生の前にはどうなるのであろうか?
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小学生の時、担任の先生が産休で交代になると聞いて、小学生でも"thank you" くらいの英単語は知っているので、「サンキューの先生が来るって、何がありがとうなのだろう?」と思った。多分、困った時に代わってもらってサンキューくらいの意味だと当時は思っていた。
それよりも前、たぶん、5才の頃、一人で風呂に入っていて、つい、「ぼくが生まれる前にも、この世が動いていたであろうこと」「ぼくは、生まれる前、どこにいたのかということ」「おそらく、ぼくが居なくなってもこの世は動き続けるであろうこと」が気になって、怖くなった。それから、20年以上経つが、時折、その反復が起こって怖くなる。
歴史の授業なんかで、ぼくが生まれるよりもずっと前に、色々と活躍した人の話を聞く。その人は、今はもういないこと。そして、年表上に登場しない無名の大多数がいたであろうことを想像してしまって、またまた怖くなった。
捕虫網を持って、チョウやトンボを追いかけていると、オスとメスが連結して飛んでいるのを、しばしば見かけた。トンボなんかだと、その状態でメスの方が水たまりに長い尻尾を打ちつけて卵を産んでいた。シオカラトンボとムギワラトンボは夫婦だった。
昆虫の図鑑などを見ていると、いわゆる交尾のようすの写真が載っていた。だからといって、両親がお尻とお尻を連結している様子は想像できなかったので、「果して、人はどうやって、子を得るのであろうか」と謎が増えた。
いわゆるコウノトリの話とか、キャベツ畑の話とか、橋の下の話とかは聞いたことがあったのだが、どうもしっくりこなかったので、自前の屁理屈では、「たぶん、一緒にお風呂に入ったら、子供ができるのだ」ということになっていた。
しかし、小さいぼくが、母と一緒に、銭湯の女湯に入っても、母をはじめとしたその時の銭湯のお客さんが、ぼくの子供を身籠もったという話は聞かなかったこと思い起こすと、「たぶん、大人の男女が一緒にお風呂に入ると、子供ができるのだ。」と大人であることという条件が増えた。
それから随分経つのだが、大人の女の人と一緒にお風呂に入ったことはないので、これを検証することはできていない。
ぼくには軽い(重い?)対人恐怖があり、その中でも特に女性に対すると症状がひどく、「近寄りたいような、近寄りたくないような」アンビバレントな気分になる。電車の座席で女の人の隣が空いていても座れない。細い通路のぼくの行く先で女の人がお喋りしてたりすると、そこを通れない。相手が妊婦さんだったりすると、「ああ、この人は一人なのか二人なのか」と思ったりして、つい声をかけるにも怖じ気づいてしまう。
学生の頃に生体工学だかなんだかの授業で、子宮の形態変化に関する英語の資料を渡されて、それに基づいて論じろとかいう試験があって、「一年くらいの間に、こうも劇的に形態が変化するのは、成長期のお子様以上だ」とか「ぼくは、幸か不幸か女ではないので、知識として知り得ても、体験はできず、実のところは怖いくらいで、なんだかよくわからない」という感じで、なんだか、この毎度の小文のような「何を言いたいのか、わからない」と言われる文章を解答用紙に書いたのだが、なんだか単位が出てしまった。
一時、試験管ベビーという言葉が流行った頃、「別に、試験管の中で10箇月すごすわけでもないんでしょ?」「普通の妊娠だって、筋肉で出来た試験管(いや、形から行くと、フラスコかな?)で行われる大いなる実験じゃないの」と思った。
人の素をおなかに抱える女の人が怖い。でも恐怖というより畏怖ってやつだ。ま、その前に半人前の人の素の無駄弾を無数に放つ男の人も相当怖い。二十数年前、ぼくの素が発生した時の無駄弾のみなさんのことを考えると、「別にぼくでなくても良かったのにね」と恐縮しながら生きている。
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当時の本 『私たちは繁殖している 1,2』内田春菊(ぶんか社, 980, 1000円),『タケちゃんとパパ 1〜3』江川達也(スコラ社,
980〜1000円)ぼくの本棚にある出産モノのマンガのうちの二つ。面白い。
当時の世 ワールドカップも参議院議員選挙も終わった。
近頃の私 生まれて良かったと思えるように、いいこと探していきたい。