Date: Wed, 23 Sep 1998
22日に仕事から帰ると、寮の掲示板に
「最近部屋が乱雑になっています 片づけておくように 24日にチェックします」
と書いてある。別にぼく個人が名指しで指摘を受けてるわけでなく。ま、会社の施設を借りてる格好なんだろうけど、俺の部屋だぞ。と思いつつ。だいたい20代半ば男ばかりをつかまえて、なにをトホホな掲示を出すんだ。とも思いながら、この頃、すこしずつ、資料整理というか、本や雑誌を捨ててみてたりしている。あらためて、ぼくは捨てるのが下手だと思う。
ぼくが、しばしばその著作を読む解剖学者の養老孟司先生の「唯脳論」を、ぼくなりに適用すると、「人はその脳の中にある形を外に実現しようとする。」のだから、この部屋のちらかり様はひょっとすると、ぼくの脳の中身を反映してるのだろうか?と思ったりする。
そういえば、本は枕に頭を載せた状態で左側に積んである。言語能力は主に、左脳の機能らしい。近頃は物量が増えたので右側の領域を侵犯している。右側にあるのは洋服ダンスとラジカセ。うむ、イメ−ジ関連は右脳かしら。と手前勝手な解釈をしてみる。
でも、改めて見ると洋服ダンスの上の棚はやはり本が入ってるし、タンスの引き出しのうちの一つは、やはり、書庫なんである。ただし、マンガが多い。
CDや、ビデオのラックはなんでか左側にある。どうしてもタイトルとか詞やセリフなど言語系に偏った鑑賞をしてしまっている可能性がある。
私の部屋にはテレビがない。ビデオデッキはある。見る時はグラストロンを接続して見るのである。なんだか、音の場も映像の場も、頭の中の出来事のような気がする。
頭頂部というか枕の向こうには、小さな机というか実は小物置き。その下に普段使う辞書。ネタを書くときは、机は使わず、その位置の畳の上にINTERTop を置いて、座ったり寝そべったりして書いている。
この毎度の、ちょっと書いてはすぐ改行して段落変えしてしまう文体は INTERTopの前にOASYS Pocketを使っていて、その画面が小さかったことから身についてしまったものである。
さて、貴重な国民の休日の一日なんだけど、明日が納期だから、休日返上で作業をしなければいけない。お約束のように、出てきたビデオの鑑賞を始めたり、本を読み始めたりしていては終わらない。
とりあえず、新聞の古いのを束ねて、所定の物置まで持って下りる。自分の部屋が3階にあることにまいる。次に、枕元で山になっていた雑誌を崩しにかかる。どうせほとんど見直さないのだけど、気になった記事はおいときたいので、そのページと表紙だけ破ってファイル。あとはたばねる。この方式であらかた、山の高さが主観的には10分の1以下になった気がする。
それをまた物置に持って下りる。
はたして、私の部屋の有効床面積は前日比2倍になった気がする。明日、いやこの頃は歳をとったので明後日以降に背中が痛くなるとすると、おそらく、今日のこの作業が原因であろう。
---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『松本人志 愛』(朝日新聞社, 1200円)前の2作と比べると今回は語り下ろしなだけに、文体とトークのギャップは少ない感じ。しかし、松っちゃん「愛」てあんた。ついでに、帯に売る前からベストセラーと書いてるのがなぁ。ま、売れるんやろけど。いや、でも、どこか共感するとこがある。
当時の世 台風が続いて過ぎた。
当時の私 なんか、おもろない。すると、頭の中で声がする。「自分でおもろいこと探さんで、どないすんの。」いや、別に怪電波ではない、数少ない親の教えである。
なお、左視野は右脳、右視野は左脳の視覚野で処理されると言われているので、上記の説は、口から、もとい、指先からでまかせである。