Date: Tue, 22 Jul 1997
気をつけろ。ヤッパリ星人による日本侵攻計画は着々と進んでいる。
以前にも指摘したことはあるのだが、「やっぱり」は既に事前になんらかの判断が行われたことを示す言葉なのである。お互いに議論の中で了解しあったことがらに関してならともかく、まだ、話を詰めてもいない段階で、開口一番に「やっぱり…ですか? 」と言われると、話す気力が萎える。
なんだ、あんた、もう話の展開を決めて来てるんじゃないの。
さらに、「やっぱり…ですよね。」などと言われた日には、
なんで、そう、あなたは、自分の先入観をいきなり他人に押しつける?と不快になる。
打ち合わせに来た営業の人がヤッパリ星人であることがわかった時などは、私の中でその営業マンへの信用度は急激に低下する。しかし、商談室で、ガタン!と大きな音を立てて、イスを転がしながら立ち上がり、相手を指さして
「貴様っ! ヤッパリ星人だなっ!!」と言ったところで、
「フォフォフォ。よく見破ったなタケチャンマン」
てな展開にはならないから、時間が許すかぎりは、先方のお話を聞くだけは聞く。
ちなみに、はたしてヤッパリ星人が「フォフォフォ」と言うかどうかは定かではない。一般にこの音声はバルタン星人のものと言われているが、取り合えず異星人ということで使わせていただいた。なお、ヤッパリ星人は、地球人、とくに日本に多く居住するモンゴロイドと見分けがつかない。さらに、流暢な日本語を話す。
また、「やっぱり」の使い手が、はたして、ヤッパリ星人が日本人に擬態したものなのか。それとも、ヤッパリ星人そのものは肉体を持たない精神生命体であり、日本人に憑依したものかもわからない。
ヤッパリ星人は世に言う外向的な人に多いようである。そんなことだから、ひょっとすると、彼らの使う「やっぱり」は本来の「やっぱり」の意味を失い、「さて」とか「え〜と」に近い用法になっているのかもしれない。
ヤッパリ星人はテレビ業界にも多い。近頃のテレビ番組はワイドショー形式やフリートーク形式のものが多い。そんな番組を見ていると出演者が1、2分に一回は「やっぱり」を使う。その人の予測が当たったという場面でならこの単語は適切である。しかし、とある場面の解説、あるいはコメントをしようって時に「やっぱり…」とやられると、見る気が失せる。これが最近、私がテレビをほとんど見なくなった原因のうちの一つであるのは本当である。我慢してその番組が終わるまで見ていると、出演者全員がヤッパリ星人だったということが判明してしまうこともある。
かの震災の折り、激しい揺れののち、戸外に避難した人のうちの一部がラジオを速攻でつけて速報を聞いてた。「やっぱり震度4だって、どうりで凄い揺れだったね」(後に5に訂正された)発想が逆なのではないか? ああいう凄い揺れを震度4というのだ。震度4だから凄い揺れなのではない。ヤッパリ星人はしばしば、生身の感覚を信用しないので勝手な情報操作で自分を納得させる。
早々に復旧した電気でテレビを見る。被災者の声を取ろうとするマスコミ。「やっぱり、地震は怖い」うむ、この発言はまだ分かる。誰にも了解の感情だ。「やっぱり、都市というのは…」「やっぱり、人と人との…」「やはり、この初動の遅れは…」専門家もコメンテータもみんなヤッパリ星人であった。
みんなこの事実を予想していたのか? それとも、なんらかの運命として予定されていたこととして受け入れる諦観の一種なのか?
保険の勧誘の人の多くもヤッパリ星人である。「社会人になったら、やっぱり保険の一つにでも入っておいた方が、やっぱり安心でしょう?
毎月いくらかお金を払わなくちゃならなくなるのは、やっぱりちょっと嫌かもしれないけど、万が一の時にはやっぱりお金は必要でしょ。」万が一の不幸に備えて、万分の九千九百九十九の平安の中で都合約1万倍に薄められた不満を伴って生きるのは嫌だというのは私の悪い癖の屁理屈である。ヤッパリ星人の勧誘員に勧められて保険に入ったヤッパリ星人の顧客は万が一の時に、きっと言うのである。
「やっぱり保険に入ってて良かった。」
ヤッパリ星人と対抗するためには、こちらもテユウカマンに変身して、会話のキャッチボールならぬ会話のドッジボールをしなければならないのであろうか。時に避け、時に受け止め、時にぶつけられして…テユウカマンに長時間変身していると、そちらが主人格になってしまって戻れなくなる時がある。私はそういう人を何人か知っている。
やっぱり、私はテユウカマンにはならずに戦いたい。
おっ、やばい。上の行頭はヤッパリ星人の浸食を受けている。気を付けろ。
やっぱり…やはりを強めた語 やはり …[矢張り](1)以前と同じ状況であるさま。 (2)予想や判断通りであるさま。 (3)結局、初めに予想した結論に落ち着くさま。 (「矢張り」は当て字)
---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『カトゥーンズ』岡崎京子(角川書店, 1100円)別にこれに限ったことではないけれど、岡崎京子のマンガに流れる生と性と死の軽やかな感じがとても好き。重体に陥った交通事故からだいぶん経つ。その後どうなったのだろう?
単行本全部読み切ったわけではないけれど、復活して新作書いて欲しいヨ〜ん
当時の世 世の中には悪しき予定調和が蔓延している。
当時の私 本と雑誌と新聞の雪崩に巻き込まれて遭難しかかる。