[*]Nails laugh at hairs

Date: Tue, 04 Nov 1997

成長期はたぶん終わっているので、もう背はのびないと思うが、髪と爪はちゃんとのびてくれる。ある意味、今、髪をのばしているのは、自分が生きていることを再確認したいからという説もある。そんなことしなくても口の前に手を持っていけば呼吸してるし、胸に手を当てると心臓が動いているらしいことは分かる。あんまり長いこと手を当てていると、時々、一拍飛んだりして不整脈の気もあるのかしらと心配になったりする。

日本語には苦爪楽髪という言葉がある。小学生の頃には頭は丸坊主で指は深爪だったので、まったくもって実感を伴わないが、塾なんてとこに行っていくつか四字熟語も覚えてるのだから、一つの効果があったともいえる。で、苦爪楽髪というのは、苦労していると爪ののびが早く、楽していると髪ののびが早い。ということである。

「俺の髪はなかなかのびないし、爪はしばしば切るし、10歳の頃からある白髪も多いから、私ってば結構苦労してるんだわさ」と思ったりするようじゃ楽しているのだろう。何のことはない、辞書の続きには->苦髪楽爪あるいは楽爪苦髪とあって、反対の例も出てたりするので、あいまいな日本の私である。

生きてる証とか言っても、髪の毛や爪そのものは分泌物であって生きた細胞じゃない。その点では、髪と爪がどっちがのびると苦労してるか。というような議論は、いわゆる目くそ鼻くそを笑うと同レベルの問題である。そういえば、目くそはクソなのに、目尻でなく目頭に溜まるのは何故だろうという疑問もペンディングのままだ。

クソ扱いは失礼かもしれないので、前言は撤回するにしても、髪も爪もどちらもケラチンとかコラーゲンといったタンパク質からできたものである。つまり、生きてないから傷がついても自力で回復したりはしないのである。だからヘアケアとかネイルケアという概念が発生するのだろう。

そこで、その手のケア用グッズを買いにお店に行って気がついたのだが、女性用は髪の毛そのものを対象としたヘアケア製品が多くの種類有るのに、男性用のコーナーは、専ら育毛か整髪のための製品ばかりで、髪の毛そのものをケアする品物があまり見当たらないのであった。爪にいたっては男性用はその店には全くなかった。

と思う。なにせ化粧品を置いているようなお店には行き慣れないので、きれいな店員さんにCan I help you? の声をかけられるのが恐くて逃げたから、その品の存在を確認できなかったのである。しかし、この手のお店に並んでる男性用化粧品って、彼女やお母さんが、彼氏やお父さんのために買ってくのであろうか、それとも、世の男性は私と違ってこの手の店に場違いな感じを受けないのだろうか。

仕方がないので、近頃は、なんでも屋状態になっている薬屋さんに行った。いわゆるドラッグストアである。看板に「スーパードラッグ」とある。なんだか、物凄く効くヤクを一発キメてそうである。ま、おそらくは、ドラッグのスーパーマーケットくらいの意味合いだろうが…

このクスリ屋さんにしても、男用の品ぞろえが豊富なわけはないのだけれど、試しに爪やすりを購入して、シュッシュ、シュッシュと磨いてみると、結構それだけで、爪は光り輝くのである。時折、電車の中で吊り革をつかんだ女の人の指のマニキュアがいまいち決まってないなぁと思うことがあるが、案外、爪を磨くだけでも見た目は違うのではなかろうかと思った。購入した製品では面出し/磨き/仕上げの3種類のやすりがついていたのだが、3段目までやると、爪ばかり光ってしまってかえってバランスが崩れるので、指のスキンケアや甘皮のケアにまで手を染めなくてはならなくなるから2段目でやめた。

なんだか、髪の話の続きのつもりが爪に場所を取られた感がある。
ぼくの髪はもうすぐ肩まで届くけど、町の教会へ行く予定はない。

[つづく]

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『メモの技術-パソコンで「知的生産」-』中野不二男(新潮選書, 1000円)梅棹忠夫の『知的生産の技術』京大型カードのパソコン版。検索再利用性の向上が知的生産の鍵なのだが、そのシステムとデータ作りが大変だ。
当時の世 スリットの入ったタイトミニの女の人と、ヨーヨーを振り回す男の子が街を闊歩している。
当時の私 しんどいなぁと思っていたら、頭の中で、「お前だけしんどいんとちゃうんじゃ、みんなしんどいんやからがんばれ」と少し論旨不明な親や恩師や知り合いの声がリフレインする。

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