Date: Mon, 13 Oct 1997
「にわにはにわにわとりがいる」
変換キーを押してみる。
「庭に埴輪鶏が居る」
はたして、埴輪鶏とはどのようなものかは定かではないが、おそらくどこぞの民芸品みたいなもので、素焼きで、目は穴になっていて「ハニャ〜?
」と鳴くのだろうと思う。
「きしゃのきしゃがきしゃできしゃした」
変換キーを押してみる。
「記者の記者が汽車で帰社した。」
惜しい。最初の「きしゃ」が「貴社」になってれば正解である。だがしかし、いまどき、汽車で帰ってくるような社員は、日本国内では少なかろうと思われる。
日本語に同音異義語が多いことは、外国人が日本語を学習する上で障壁となるだろうし、あまり賢くないワープロの日本語辞書には酷な仕事になる。ぼく自身はあまり賢いワープロを使った記憶がないので、文章一括変換などということはあまりしない。概ね文節変換というのを使う。実は賢いワープロを使っていたのにもかかわらず、頑固に文節変換してたのかもしれない。初めて使ったワ−プロで「ひがし」と打って変換キーを押すと、「非餓死」と出た。関西人気質の人としては
「先生、それはちゃうんとちゃいますか?」
とつっこまずにはいられない。さて、なんで、こんな阿呆なワープロを「先生」と敬称で呼ぶかというと、関西ではお客さんや上司から、猫にでも杓子にでも「〜してはる」という絶対敬語が使われる風土があるからである。そして、敬語が使われたからといって、必ずしも敬っているわけではなく、心の底では蔑んでいることもまれにあるので、関西人は言葉面だけで信用してはいけない。
で、問題は「ちゃう」である。
「なぁ、あそこにおる犬。あれ、チャウチャウちゃう?」
「ちゃう、チャウチャウちゃうんちゃう。」
「えぇ、あれ、チャウチャウちゃうん。」
「いや、チャウチャウちゃうんちゃう?」
登校時間に必ず、通学路上でチャウチャウ犬を散歩させている人がいて、その人と出会うと、このギャグをやるのが定番になっていた時期があった。こないだ読んだ、わかぎえふさんの本によると、これは桂文珍さん考案のネタだったと思うというような話が出ていた。まぁ、そのオリジナルに触れたかどうかは定かではないが、並の関西人ならば、チャウチャウ犬を見た瞬間にこのネタを言わなアカンと思うと言われている、というのも定かではない。
東京の人が聞いたら、
「あのさぁ、ちゃうんちゃう、っていわれちゃっても、困っちゃうんだよなぁ。」
というかもしれない。東京方言では「〜ちゃう」は「〜てしまう」の意味だ。
そんなこったから、せっかくカラオケで鈴木雅之の「ちがうそうじゃない」を歌おうとしても「ちゃう、ちゃう、そ〜や、そ〜やな〜い」なんてことになるのである。
ならへん。ならへん。
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当時の本 『ぬくい女』わかぎえふ(双葉社, 1400円)「あたたかい」というより「ぬくい」と言った方が関西人はほんわかとするのである。劇団リリパットアーミーを率いるわかぎ姉さんの関西文化論
当時の世 内海好江師匠が亡くなった。
当時の私 も〜いい〜かい。ま〜だだよ。