Date: Mon, 16 Mar 1998
春先だからだろうか、風が強い。ぼくの髪はちょっと硬めなので、風にあおられると、素直になびいたりせずに、まるで、妖気を感じたり、髪を針にして攻撃にでる鬼太郎のようになる。
スーパーハードな整髪料で固めちゃえば?っていう案もあるが、固めたら固めたで、固まった単位ごとに、飛行機の翼のフラップのように「バクッ」と起き上がるだけの話である。
帽子を被っちゃおうかと思ったりもするが、帽子を被ると、次に脱いだ時、「私、つい先程まで帽子を被ってました」という癖がつくのが、なんだかいただけない。それに、普段から帽子を被りなれないので、頭の重量が数倍になったような気がして、首が凝ってしかたがない。それに、帽子が風で飛んでいかないか心配しないといけなくなる。
ほっといてもあんまり伸びないなぁと思いつつ伸ばしていた髪を、ちょっと前にちょっとだけ切りに行った。こないだ行った散髪屋さんは、一見のぼくに、なにやらメンバーズカードなるものを発行して、髪の切り方とかシャンプーとかヘアリキッドの使い方をデータベースに登録してパソコンで管理してるとか言ってたが、1年も御無沙汰すると、状況が違うのでそこに行くのは気が引けて、新規開拓となった。
髪を切るという行為は、庭師みたく「自然を、人から見て整った美しさを出すように制御する」行為だとぼくは考えている。だから伸び放題だと野人と言われる。でも、岡野の眉毛はしっかりトリミングされている。「人の意識」でのみ出来上がっている住宅街はコンビニと薬局とクリーニング屋と本屋が多いが、理容店や美容室も多い。
で、足の向くまま道路沿いにあった理容店に入る。青と赤と白の、血管と布を象徴しているという、ねじりん棒のある理容店である。昔は医療行為も床屋さんの仕事だったかららしい。美容室では顔剃りをやらないとか、免許が違うとかいう話を聞いたことがあるが、よくしらない。でも、なんで「床」屋なんだろう?
ソファーに座って順番を待つ。静かな店の天井のかどのスピーカーからは長野五輪の開会式が流れていた。ぼくはなんだか遠い国からの中継を聞くような気分で、据え置きの雑誌ではなく、先刻、本屋で仕入れた本を読んでいた。
順番が来た。「どうしましょうか?」「なんだか伸び放題なんで適当に整えて下さい。あまり切らなくていいです。」と曖昧な注文をするぼく。「くせ毛だから、ふくらんじゃってるけど、長いでもなく短いでもない長さだねえ」店員さんはぼくの苦手なスモールトークをひたすらするタイプの人でなく手際よくお仕事をしてる感じで良かった。
ところどころ、大きいクリップみたいな髪止めで上の髪を持ち上げながらカットする。(なるほど、長めの髪はこうやってカットするのか、俺なんか中学卒まではマルコメ君かスポーツ刈りだったし、高校以降も「坊主が伸ばしました」って感じのハリネズミ頭だったから、長い髪の切り方なんて知らなかったなぁ。)とつまらないところで感心する。髪が伸びてからブラシを毛先の方から使うようにもなった。
ハサミの「ジョギッ!」という音が耳にここちよい。飯の前に調理の音を聞くとなんだかおいしそうな気がするのと似ている。いい歳して、人に慣れていないので、他人の手が頭や顔や首に触れるとドキドキする。だからと言って身震いしたのでは、今当たってる剃刀で皮を切るんじゃないかと心配になって身震いの我慢をする変なぼく。
髪を洗う。美容室は後ろ向きらしいが、理容店は前かがみ。ぼくは散髪に来るたびこの広大な洗面器に対して、どういう位置決めで頭を持っていったものか悩む。ええい。ままよ。と、ちょっとイスの前の方に座りなおして、頭を突っ込み目をつぶる。
散髪が終わって、腕や肩や首を軽くマッサージしてくれた。散髪屋さんになる試験にはマッサージの技術の試験もあるのだろうか。と、つまらん考えが浮かんだ。
帰り際、「また、いらっしゃい」と言われたが、今度いつ行くかは謎だ。
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当時の本 『顔』南伸坊(ちくま文庫, 700円)単行本の時に買ってなかったので文庫になったのを期に買ってみた。ちょっと版が小さくなったので、伸坊さんの顔のおおきさは多少緩和されたが、面白さはかわらないのだろう。
当時の世 太陽は昇って沈む。実は地球が回っている。
当時の私 ほんとうは私の目が回っている。