Date: Mon, 17 Nov 1997
「ってゆうかぁ。クリスマスにカレシいないのってぇ、超ヤバくない? 」
「それって、マジでヤバいよ。でも、あんたカレシいたんじゃなかったっけ? 」
「先週別れちゃったのぉ。それでぇ、現在、カレシ募集中ぅ〜って感じなんだけどぉ。なかなかイイ男いないのよねぇ。」
「ほんっと。でも、クリスマスの一日だけでも欲しいよねぇ。」
「こらっ!!何だ、そのご都合主義は、そこになおれ! 説教してやる!」と思ったけど、ウザいオヤジにはなりたくないという保身の心が働いて、心の中で突っ込むだけに止めた。
それにしても、電車の中で、まるで呼吸するには喋りつづけてないといけないのだろうかと思うほどだ。当然、物静かな子もいるのだが、いわゆる箸が転がっても笑う年頃の女の子はまるで、それが本能であるかのように、よく喋る。まったく、「止まると死ぬんじゃ」では寛平ちゃんである。おまけに、自分の部屋で友達と長電話してるんじゃないんだからさぁて感じの話題が多い。やだ、私ってば盗み聞きしてるわ。でも、彼女たち、かなり大声で明け透けに話すので、耳がダンボになる必要はなく、インド象くらいの耳でも聞こえてくる。
「じぇんこくの、じょぉしこぉせぇのみなさぁん」と思わずボヤッキーになってしまったが、女子校生と書けば間違いなく「女子校の生徒」であろう。が、同音で女子高生があるからややこしい。対にして男子高生と書いても、どちらかというと、共学というより男子校という響きがある。
女学生だとなんとなく、ちょっと昔には女学校と呼んでた所の生徒のような響きがあるし、髪は三つ編みのおさげで、冬の足元は校則で黒のストッキングと決まってそうな気がする。インテリ系や文学少女やお嬢さんって感もある。
高校生女子とか女子高校生と書けば、どうもPTAや報道関係の用語のような気がする。肩書は高校生、性別は女という感じだ。おかげで、昔なら単に「高校生」と書いていた男の子の記事でも「男子高校生」と表記したりする。男女平等に表向き気を使った表現である。
クリスマス用のカレシの手配に気を揉む彼女じゃないが、もう年賀状も売ってるし、クリスマス用品の売り場も結構幅を取っている。1月のお正月や、12月のクリスマスといった先の準備で忙しい11月だけど、11月は学園祭のシーズンでもある。
学園祭シーズンになると、何故か女装したがる男が出てくる。男子校の学祭だとミスコンがあったりする。ぼくのいたクラブはただでさえ所属人数が少ないのに、綺麗所は他のグループにスカウトされてしまって、止むを得ずぼくが出るはめになってしまったのであった。
その時、他の女の子(の格好をした男)の中に、少なからず、女きょうだいや、女友達から借りた女子校の制服を着て出場しているのがいることに気がついた。このことから明らかなように制服というのは、ある種の性別増幅装置として働くことがわかる。女の人用の服を着ることによって「女性」性という制度を強化しているのである。これは女の人のおしゃれや、男の人のコスプレやフェチの謎に係わる重大事項と思われる。(男のおしゃれや、女のコスプレも同じような根はあるだろうが、ちょっと違う気もする。)
で、その時どうなったかというと、当時はちゃんと鍛えてたので、胸はあったけど、大胸筋の発達したハト胸だったし、肩は僧帽筋が盛り上がって肩パットいりませんって感じだったし、腕も脚も逞しかったので、司会に「こういうおばちゃんっているよねぇ」というコメントを頂戴し、「おばちゃんじゃぁミスコンにならへんやないの」と胸の内で突っ込みながら涙を飲んだのである。いとこや母のお古を着ていたため、それが不覚にも「おばちゃん性増幅装置」として働いた疑いがあるが、当時の資料は、私の不確かな記憶しか残っておらず、現在は検証不可能となっている。
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当時の本 『ファッションの技法』山田登世子(講談社現代新書, 640円)誘惑するファッション。本文で述べた「性別増幅装置」としての服と繋がる気がした。キーワードはコケットリー。
当時の世 地球温暖化防止のために、赤信号で停車したバスはエンジンを止める。
当時の私 あまり、温暖化防止ばかり言ってると氷河期がくるんじゃないか?と密かに心配している。