[*]Mucci Pump

Date: Mon, 5 Jun 2000

というわけで、血圧計を買いにテクテク出掛ける私である。
ご存じの方もいるが、私の筆名がTexiなのは、ボケ師匠である父が、配達の最後に得意先の店に寄ってしこたま飲んだ挙げ句、店のママさんに、「車で来てるのと違うのん?」と聞かれて、「今日はテクシーだから大丈夫」とお約束に使っていたギャグが元である。

手元の『ハイブリッド新辞林』によると、
「てくシー;[タクシーをもじった語]俗に乗り物に乗らず歩いていくこと。」とある。

なお、父の教えによると、ケツ圧というのは、多少混んでる電車などでも、座席に少しの空間を見つけると、ゴイゴイと押し込んでくるようなご婦人のことを「ケツ圧の高いオバハン」というらしい。最近の若者はケツ圧が低いのか、座席の高さに耐えられず、床に直にしゃがみこむケースが多い。

で、購入したのが、オムロンのデジタル自動血圧計HEM-757ファジィ「インテリセンス血圧計 IntelliTM Sense」(購入価格10,479円税込み)である。ネーミングのセンスもさることながら、あの大手半導体企業の社名スレスレの名前はTMマークがついてるということは商標登録されているのだ。いわゆる「インテリ」ってのは、ロシア語の「インテリゲンチャ;知識階級」の略だと聞く。私は大学生の時、第二外国語はロシア語であったが、それはよく知らない。一応、外来語としての「インテリゲンチャ」ってのは聞いたことがある。
しかし、「ファジィ」という言葉にレトロ感を持ってしまうのは私だけであろうか。

コンパクトな箱を開梱して、製品を取り出す。「電源」「加圧」「メモリ」の三つのボタンしかないのだから、まどろっこしくて取説は読まない。ちゃんと腕帯にも付け方が書いてある。さっさと装着して、いざ。
そう、こういうような新しいアイテムを手に入れた時というのは、いざ、試運転!って時が一番ワクワクするものではないか。その時のデータを取らずしてどうする。と言う所である。

あおり文句には「静音タイプ」とあったが、「ブゥゥゥーーーーーン」と鈍い音と共に、加圧がはじまった。「あぁ、この締めつけが!あっ!この!」などと書くと、なんとなく唐沢なをきのマンガ風である。で、結果。パンパカパーンとは鳴らないけれど、上121mmHg、下78mmHg、脈拍62。
めっちゃ普通やん。しょうもな。

取説に曰く「病院で測ると、緊張して20から30mmHg高く出ることがあります。」

んん、やはり、健康診断の時の数値は追い風参考値なのだろうか。それとも、その後一ヵ月で体が適応してしまったのか。あるいは、この一週間の断酒で回復してしまったのだろうか。謎だ。

出張の帰りに4キロの荷物を背負って、ひいこら言いながら、やっと自室にたどり着いた。疲れて息が上がっている。おもむろに腕帯を左の二の腕に巻き、「加圧」ボタンを押す。「ブゥゥゥーーーン」うむ、127/84mmHg、脈拍85。おお、脈拍が早くなってる。そんなものは別にわざわざ計らなくてもドキドキしているのでわかる。

いまいち先日の境界域高血圧の領域まで上がらないではないか。(いや、別に上がらなくてもいいではないか。それに、最低血圧の方はやはり、少し高めだ。)いまいち、測定器を導入したわりに、おもしろみに欠ける。(おもしろがるものでもなかろう)

どうしたものか(どうしようというものでもないのだが)。

遊園地に赴いて、絶叫マシンに乗りながら測定するか。いや、私はいわゆる絶叫マシンで絶叫することはないし、多分、係員に測定器を没収されるのが落ちであろう。

映画館に行って、ゾクゾクワクワクしたところで、測定するというのはどうだ。いや、みんなが、映画のセリフや効果音やBGMに浸っているところに、「ブゥゥゥーーーン」というのは興醒めだ。

どこか高い建物の屋上とかに行って、下を眺めてゾクゾクしたところで測ろうか。いや、私はさほど極度の高所恐怖症ではないが、ゾクゾクのあまり、装置を落として下の歩行者に重傷を負わせるとまずいので、提案は却下された。

そうだ、好みのタイプの女の人を見つけて、「私の健康のために、あなたの目の前で血圧を測らせてください」というのはどうだろう。おもむろに「ブゥゥゥゥーーーン」いや、これでは「あなたの健康を祈らせてください。」と手のひらから謎の光を出すという人より怪しくなるかもしれん。

入浴のあとでも変わると取説にあるが、この頃、湯船にお湯を張る前に眠りに落ちてしまうので、シャワーで済ましてばっかりだ。

飲酒のあとでも変わるらしい。これは実験せねばなるまい。って今は酒断ち中ではなかったか。あやうく妖精さんの囁きに乗せられるところである。

苦慮の末に(いや、別に苦しんでないが)思いついたのが、「そうだ。イヤラシイ本を鑑賞してみてゾワゾワしたところで、測定するというのはどうか。」という「なんだかなぁ」な方法であった。言うまでもないが、ご本人の中では「これは、そのなんだ、いやらしい気持ちなんかではなくて、あの、その、知的好奇心によるものであってだな、ええ、その。なんだ。そういう訳でありまして。。。」と言い訳をしている。(知的好奇心ですべてが許されるわけはないのである。)

イヤラシイ本を鑑賞するには、イヤラシイ本を入手しなければならない。私は、おもむろにイヤラシイ本入手のために出掛けるのであった。(実は、この時点で多少ドキドキしていたのだが、データを取り損ねた)

つづく

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『水に似た感情』中島らも(集英社文庫, 495円+税)どっちかいうと、エッセイを小説風に起こした。って感じ。躁な感じがよく出てると思う。いや、ぼくはそうなったことないけど。
当時の世 知らん。おいらは忙しい。空に入道雲の子供。暑いわけだ。
当時の私 出張帰りに電車の中でビール飲んだ。一週間ぶり。ま、人と一緒にだからよかろ。

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