Date: Tue, 11 Nov 1997
のっけから何だが、「人生、一生勉強だなぁ。」と思う。
とりあえず学校と呼ばれるところを一通り卒業して、特にテストに備えるでもなく、ふとしたことで、発見があるとなんだか嬉しくなる。「やっぱ、学問は自由でなくては。」と危うく知ったかぶりのヤッパリ星人になりかけるから気をつけなくてはいけない。
日本語が母国語ではあるけれど、日本語にさして自信がないので、始終、辞書を引く。大学の時に、中国からの留学生に、「みなさん、日本人なのに、机の上に日本語の辞書を置いている。不思議ですねぇ。」と言われたことがある。本音と建前の日本人は、報告用と日常会話用の二つの日本語を駆使しているのだ。という説明はややこしいのでしていない。ぼくの母は広島県の出身なので、ぼくは中国系関西人二世である。だから、いまいち、自分の関西弁が本物か自信がない。
何か物を知るというのは嬉しさ反面、「あぁ、ぼくは今までこのことを知らなかったのだ。」と自分の無知を打ちのめされることもある。ま、落ち着いて考えると、個人が知りうる知識なんてたかが知れているから、知らないことの方が多くて当然なのだが…
古代ギリシアの哲人ソクラテスはちょっとクセの強いおっちゃんであるが、その「無知の知」という思想が、何となく肌が合う気がする。使い方をあやまると、なにやら嫌味なだけだけど。
人との会話の少ないぼくは本やCDをその作者の語りだと思って聞くことが多い。蔵書印をドスンと押すのもいいかもと思うのだが、多くの場合、「無知の知」を気取って、「無智」と刻印した日付印と、帳簿用の「入」「済」の印をポストイットに押して蔵書票を作ることがある。コクヨのタイコバンにも少し引かれるものがあったが、ちょっと初期投資が見合わなさそうだったので見送った。
ちょっと本なんかで見知った知識をひけらかすようじゃ、無智ならぬ無恥になってしまうので気をつけないといけない。
なかなか人からツッコまれることが少ないので、いわゆる「のりつっこみ」と呼ばれる独りボケをすることが多い。頭の中で「電波が…」というとちゃんとした分裂病者なのだろうが、幸か不幸か、ぼくの頭の中で響く声は、まだ、ぼく自身のものなので、遺憾ながら、単なる分裂病質気質者の域を出ていないのだろうと本人は思っている。
余談であるが、「む」は無智のむである。
「無智」印の日付印 1854円 1996/07/14購入
インク入りの「入」「済」ハンコ 2160円 1996/09/07購入