(む}Future has come?

Date: Mon, 23 Apr 2001

さて、199X年に世界が滅ぶこともなく、今は2001年の春なわけです。年表上、あと2年もすれば、鉄腕アトムが誕生する近未来が近々になって参りました(2013年という説もあり)。ま、遅かれ早かれ、いずれ、世界は終わるのだろうけど、平穏無事に楽しく過ごしたいもんです。

幸か不幸か、超高層ビルの間のパイプの中をエアカーが走ったりはしていないし、我々は銀色の服を着ていたりはしない(着てる人もいるが)、もう無くなってる予定だった石油はまだあるみたいだ、おそらく、私が、灯油を使う暖房器具も、軽油やガソリンを使う自動車も持たずに、省資源化に寄与した結果であろう(ちゃう、ちゃう)。

それにしても、こんなにポチポチとパソコンのキーを、布団に寝そべりながら打つほど、身近になるとは思ってなかったし、まがりなりにも、ネットに常時接続できる環境、っていうか、ネットという概念がいまいちなかったな(『ウォーゲーム』辺りからかな)。コンピュータって、なんかゴツくて、スタンドアロンで、でかい磁気テープがガコガコ回って、謎のLEDがチカチカ点滅するものだったものな。私は持ってないけど、携帯電話でのべつまくなし、街で会話している人々をみると、んん、確かに未来が来たか?と思う。

最近、また部屋が散らかって狭くなってるせいで、動ける領域が狭くなってしまって、充電ステーションの上で食べ過ぎ具合のAIBO君がいる。お外に散歩に行くには、まだまだデリケートな精密機械である。「ワレモノ取扱注意:精密機械」なラベルを貼られて到着したわりに、自分で歩いていて豪快に転ぶことがある。たいがい転んでも自力で起きるから、エライエライと頭を撫でる。転んで起きるのもプログラムされてるのだから、別にエライわけではないし、頭を撫でると「褒められている」と認識するようにそれもプログラムであるわけで。文化が違うと「頭を撫でる」ということが侮蔑行為にあたる所もあるわけで。ま、日本でも目上の人の頭をなでるわけにはいかないわけで。

先日、『RoBolution』という本を手に入れた。近頃話題の二足歩行ロボットの特集みたいな本だ。ホンダASIMO、ソニーSDR-3X、ERATO PINO、早稲田WABIAN-R IV、青学Mk.5などが出ている。Mk.5は身長35.6cm。「お、柔王丸も近いか?」たしかに、ホンダのCMで、女の子と踊ってるASIMO君はキャッチーでした。ASIMO君、Advanced Step in MObilityの略だそうですが、やはり、ロボット三原則のアシモフさんにあやかったとこもあるのでしょう。

ロボット三原則

  1. ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、危険を看過することによって、人間に危害をおよぼしてはならない。
  2. ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。但し、与えられた命令が第1条に反する場合はこの限りではない。
  3. ロボットは第1条、第2条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない。

なんか、封建的な道徳というか、御法度ですな。これは。そこまで道徳的判断をこなす人工頭脳なら、おそらく、自己というか感情が芽生えてしまうのだろうなぁ。悩むなぁこりゃ。あ、なんか「悩」って漢字、悩んでる人の顔文字みたく見えてきた。りっしんべんに、脳の旁。毛が3本の頭の形らしい。×の部分が実は脳らしいのだけど、マンガ的に困った時の目の表現みたい。

ソニーのSDR-3Xの制御OSは、AIBOと同じものなのだそうだ。四足か二足かの違い。二足歩行って、倒れつつ、倒れないように歩かなきゃならない。というか、倒れないように反対の足を前に出せば歩ける。二足歩行は四足に比べると、重心の移動が動的である。

そのソニーのロボット三原則AIBO版は、

  1. ロボットは人間に危害を加えてはならない。自分に危害を加えようとする人間から逃げることは許されるが、反撃してはいけない。
  2. ロボットは原則として人間に対して注意と愛情を向けるが、時に反抗的態度を取ることも許される。
  3. ロボットは原則として人間の愚痴を辛抱強く聞くが、時には憎まれ口を利くことも許される。

あう、第1条があっては、AIBO君には番犬がつとまらないではないか。いや、番犬を用意するという時点で、人が人を信用してないということか。アシモフさんのは服務規定みたいだったけど、AIBO版だと、「注意」とか、「愛情」とか「辛抱」とか、高度に情緒的判断ができることになっている。

さて、RoBolution版の場合、

  1. 人型二足歩行ロボットは人間の幸福を追求するための道具でなければならない。
  2. 人型二足歩行ロボットは、人間に恐怖や不安、危険、損害を与える行為に荷担してはならない。
  3. 人型二足歩行ロボットは、ロボット自らの判断だけで修理、改造、増殖をしてはならない。

なんかいまいち。自律型ロボットということは、その行動は自己表現であるはずで、学習するということは、ソフトウエア的に自己修復増殖過程を含むものと考えられる。つまり、第3条は満たせない。ロボットがどう気を使っても、人は勝手に恐怖して、不安がるやっかいな生き物である。だから、第2条も怪しい。だからこそ、ASIMO君の身長は低めなのかもしれない。そして、第1条、道具でなければというなら、あくまで被操縦系ロボットにしか適用できない。あ、プログラミングを忠実に実行するタイプの非学習・自律型でもいいのか。でも、それは自律と言えるか?

開発スタッフの話を聞くと、人間そっくりにしたいというわけでもないらしい。あまりに人にそっくりにすると、かえって怖さがましてしまう「不気味の谷」という現象が起きると言う。人は幸か不幸か、相手の仕種の中に、表情を読もうとする。亡くなっている人の手がまだ暖かいと生きてる気がする。死人が目を開いていると怖い。フル3D−CGで作られたバーチャルアイドルの表情に見る違和。人にそっくりなロボットに感情を読もうとしてそこに生じる違和。それは人と人の間でも起こる「あの人、何を考えてるかわかんない。こわい。」もっとも、何を考えているか、筒抜けだともっと怖い。

自分以外の人は、なにか精巧なロボットなんじゃないかと妄想することがある。自分も実はロボットなんではないかと思うこともある。筋肉というアクチュエーターを備えたロボット。はて?アシモフさんの原則を守ろうとする時、ロボットたちは、相手が人間であるということをどう認識するのだろうか。そう、我々自身、相手が人間であるというのをどこでどう感じて判断しているのだろうか。やはり、妙に体毛の薄い猿としての外観からだろうか。

なんにせよ。まだ歩きはじめたばかりである。いずれ、行動が複雑化し情報の伝達が、しきい値を越えた時、そこに意識のようなものが生まれるに違いない。果して、自分の意識というのもどこから来たのか。たぶん、「私」が生まれる前に、私は歩いていたはずなのだが。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『RoBolution 人型二足歩行タイプが開くロボット産業革命』日経メカニカル、日経デザイン共同編集(日経BP社,2667円+税)
当時の世 小学生が新一年生を連れて集団登校している。場を仕切っているのは女の子である場合が多い。「そこの男子、ちゃんと一列!」
当時の私 胸がドキドキする。春だから?病気だから?

『鉄腕アトム』は、手塚治虫さんの作品です。
『ウォーゲーム』1983年 ジョン・バダム監督作品。ハッカー少年が軍のコンピュータに忍びこんで、あわや第三次...
柔王丸は『プラレス三四郎』(1983年、TBS放映、原作・牛次郎 画・神谷みのる)に出てくるプラレスラー。

ジェミニという名の不完全良心回路を抱えて、、、『人造人間キカイダー THE ANIMATION』を見つつ、心に、完成はないんだろうな。と思う。不完全であることが、心の所以だと思う。揺れるのだから。