(む}My mother

Date: Mon, 5 Mar 2001

その昔、私は飛行機のパイロットになる予定になっていた。いや、当人の希望というより、母の予定であった。なんでパイロットなのかというと、彼女が飛行機に乗りたかったからであった。飛行機に乗りたいだけなら、とっとと航空券を買えばよろしかろうものだが、母が言うには、パイロットの家族だとタダ券がもらえるということだった(ほんとか?)。

自分は背が低いので、国内線のスチュワーデスにもなれない。とも言っていた。国際線だともっと背が高くないといけないのだそうだ(そうなの?)。背丈だけの問題でもなかろうと思う。あんまり牛乳が好きではないみたいなのだけど、牛乳屋の奥さんになって30数年になる。結婚する前は、奥さん業専任の予定だったのだが、結局、配達とかやる羽目になって、「お父さんにだまされた」と言っている。

牛乳屋の息子のぼくは、もう吐くくらいに牛乳を飲んで育ったのだが、背は高くなく、骨が太くなる方向に成長してしまった。はて?パイロットには身長制限のようなものはないのだろうか?雑誌なんか見てると、操縦席のいろんなところに計器なりスイッチなりがあるように見えた。国内線でも管制との連絡は英語でしてるという。日本語でさえ、相手に伝わってるか怪しいとにらんでいたぼくは、母に飛行機のタダ券をあげるだけのために、パイロットを目指すのはいかがなものかと思った。

幸いにして、タダ券はあっさり手に入った。うちのすぐ近くに中学校があるので、こりゃ絶対遅刻しないや。と思っていたぼくが、なんの因果か、中学受験なんかしたりして、当時通っていた塾が、旅費を出してくれることになって、わざわざ飛行機に乗って遠くの学校まで受験しに行ったからである。

飛行機に乗った母がどれくらい喜んだのか、私の記憶は不鮮明だけど、当時のぼくは、離陸前に滑走路で加速している時に、なんかしっかりと壁に囲まれたジェットコースターみたいだ。と思った。なんだかブルブルと振動が来て、なんだか機体が華奢な気がした。結構うるさくて、なるほど、だから耳栓がわりにイヤホンが置いてあるのか。と思った。

というわけで、私はパイロットを目指さなくても良くなった。小学校の卒業文集の将来の夢を書く欄にはたしか「スペースシャトルに乗りたい」と書いてあるはずである。ただし、これはパイロットになりたいではなくて、単に乗りたいだけだったに違いない。学研だか小学館だかの学習雑誌なんかで、選択クイズ式のパイロット適性診断みたいなのが、あって、それを見ると、まだまだ私には足らないところがあり、実際の通信簿の「すすんで学習する」の項みたく「がんばろう」状態(ぼくの学校では「よくできた」「できた」「がんばろう」の3段階だったのである。)であった。それから20年くらい経つが、自主性については、いまだ「がんばろう」な私だ。

私が生まれた日は、アポロ13号が打ち上げられた日であった。(ってのを「APOLLO13」の映画をDVDで見て知った。この事故自体は、小学生の頃から、科学雑誌かなにかで読んだ記憶があるのだけど、日付まではおぼえていない)アームストロングが月に降りたのは、ぼくが生まれるずっとずっと前ではないのだけど、ポルノグラフィティは、私の母と同じ広島県因島の出身なんだそうだ。

不本意ながら牛乳屋稼業に精を出した母は(いや、当然、父も一所懸命働いてる)、なにやら、地域でのキャンペーン商品の売上ランキングで入賞して、研修という名目のハワイ旅行を手に入れた。「あんた、パスポートの取り方教えたげよか。」とか、「日本語通じるお店いっぱいあるから大丈夫やよ」とか言っている。

配達に使っている軽トラックで再々給油してるので、ポイントが溜まってガソリンスタンドのキャンペーンの懸賞で今度は、パリ行きの券を手に入れた彼女は、さすがに日本語が通じないかもしれないと心配になって、英語の先生をしていた伯母さんと一緒に行くことにしたらしい。おいおい、伯母さんが学校で先生してたのは「英語」だ。あんたが行こうとしてるところは「おフランス」の「パリィ〜」ではなかったか。

伯母さんは行きの航空機の中で「よくまぁあんた、こんな窮屈な席にじっとしてられるなぁ。」とウロウロ歩き回っていたそうだ。はからずもエコノミークラス症候群の予防をされていたようだ。

「おフランス」の「パリィ〜」であることが、既にブランドである母は、いわゆるブランド物のことを良く知らないので、一緒のツアーで行った他の人達みたく、買い漁ったりしたわけでもなく、「いっしょに行ってた人で、財布すられて、途方に暮れてる人おったけど、私らちゃんと大事に持ってたから大丈夫やったわ。」「あんたも一度は海外行ってみんとあかんよ」と、自分は2度ほどタダで海外旅行しただけなのに、通ぶっている。

「お父さんと一緒に寝ないようになってから、夜中咳き込まんようになった」(って、あんた夫アレルギーか?)と、家庭内別居状態で(いや、仕事や食事は一緒にやってるみたいだ)、父と別の部屋で寝ている母の枕元には、その時買ったベルサイユ宮殿のパンフレット(日本語版)が飾ってある。

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当時の本 『笑うニーチェ』タルモ・クンナス、杉田弘子訳(白水社,2500円+税)アンビヴァレントなイロニカーのユーモア。なんか近しいものを感じるのだが、言いかえると、皮肉っぽい捻くれ者の嘲笑だな。
当時の世 春が来たか?
当時の私 近所のスーパーに行くと「一年生になったら、友達100人できるかな」と無限ループのようにBGMが流れていてクラクラする。友達って、どういう付合いの人のことを言うのだろう。