(む}Green labyrinth

Date: Thu, 18 Jan 2001

U太君のお母さんのIMさんから、ご質問がありました。「結局、青信号の色は、何色なんでしょうか?」お子さんのU太君とお散歩して、信号を教える時に、なんか引っ掛かると。「これは青信号って言うけど、色は緑なんだよお。」
実はその疑問を私流に、ダラダラ書くと、先日のネタになるのであって、実はどこにも結論が書かれてないのである。

私なんか、U太くんより20数歳年上なのに、未だに悩んでいるのである。「果たして、あの信号は、青なのか?」

ってことで、元ネタよりも長いおまけです。


世の親御さんたちも、やはり、気になるらしく、読売新聞大阪の、もの知り百科Q&Aによると、

Q.
青信号はよく見ると緑色に見えます。子供から「緑色なのに青信号と言うの?」と聞かれ答えに困りました。(広島県安芸津町・平野孝子)

A.
日本交通管理技術協会発行の「信号機なんでも読本」によりますと、1930年(昭和5)に初めて信号機がついた時は、法律の上では「緑色信号」と呼んでいました。

しかし、色の三原色と同じように「赤・青・黄」と呼ぶ方が分かりやすいことから、世間では青信号という呼び方が定着していきました。また「青葉」「青物」など、緑色のものを「青」と呼ぶ場合が多く、青信号と呼ばれたのでしょう。

戦後の47年(昭和22)になって、法律上も実態に合わせ「青信号」と呼ぶようになりました。実際の信号の色は、71年以降に作られた信号機は青に近い色に改められています。

Q.
先日、交通信号について「緑色なのになぜ青信号」という質問が載っていました。法律上は「青信号」と呼んでいるそうですが、あの色は本当は何色なのですか。(兵庫県宝塚市・青山翠)

A.
警察庁の「交通信号関係仕様書」では、座標上に色を並べた「色度図」で青信号の色の範囲を定めています。これは「赤緑青」の光の三原色をどんな割合で混ぜるかを表すもので、青と緑の中間で、緑寄りの色となっています。色の名前はありません。国際照明委員会(本部・ウィーン)が、道路信号は赤緑黄の3色を使うことを決めているのに従ったものです。

同委員会第4部会(交通信号・照明)の日本代表、武内徹二さんによりますと、日本の青信号は「青みがかった緑」だそうです。同委員会は鉄道、航空を含む交通信号などについて、赤、黄、緑、青、白の5色の規格を世界で統一する作業を進めています。

国際的に統一したいのは分かるが、たぶん、日本人には青と、緑の判別が難しいと思われます。それにしても、兵庫県宝塚市の青山翠さん。ネタに合わせた筆名? その昔、缶コーヒの宣伝で、田原俊彦が出ていて、サインを求められて、「名前は?」「みどり!こんぺきのペキ!」というのがありましたが、その「みどり」さんは「碧」さん。


広辞苑で「青」を引いてみると、

あお【青】
(一説に、古代日本語では、固有の色名としては、アカ・クロ・シロ・アオがあるのみで、それは明・暗・顕・漠を原義とするという。本来は灰色がかった白色をいうらしい)

じゃあ、と他を引くと、

あか【赤】
(一説に、「くろ(暗)」の対で、原義は明の意という。→あお)

くろ【黒】
(「くら(暗)」と同源か。また、くり(涅)と同源とも)

暗い−>くらい−>黒い
明るい−>あかるい−>赤い
なのか?蛍光灯の昼光色と、白色は違うが、昼光色は、白色より、やや青味がかってる気がする。

白のところには、注釈の薀蓄がなかった。私の印象としては、「独白」というか、漢文を国語の時間に習った時に「申す」で使われた印象が強い。「告白」は実はドロドロしてるし、「白状」は実は「私はクロです」と言ってるようなもんだ。身の「潔白」ならたしかに白か?

汚れていないのが白だと言っても、現代の漂白剤を使ったことのない古代の人の目にうつる紙や布の白は、たぶん、白ではない。それに対して、なんだか「灰色」を総じて「あお」と呼んでいたらしい。

今でも、競走馬の毛色で「青毛」と言ったりするが、どこにも真っ青な毛の馬は走っていない。

運動会経験をしたお子様は、赤の反対は白だと思っている。
町にお散歩して信号を習うと、赤の反対は青だと思う。
オセロや囲碁を知ると、白の反対は黒だと思ってるが、
昔の人は、暗いの反対は明るいであることくらいに、黒の反対は赤だと思っていた節がある。
赤と黒では、どこぞの小説か、イモリの体色である。

色を形容詞として使う場合、「赤い」「青い」「白い」「黒い」は言う。辛うじて「黄色い」「茶色い」は言うけれど、「緑い」とか「緑色い」とは言わない。やはり、「緑」は「草の色」あるいは「草」そのものを表す言葉だったのじゃないか。桃の色を「桃色」というように。「桃い」では、かおりさんである。

いわゆるアースカラーというのは、「赤」「黄」「茶」あたりで構成される、紅葉や土の色であるが、砂漠化が進みやすい国に比べると、植生がつよい日本国では「青」や「緑」がアースカラーだったのではないか?と私は思う。

で、青や緑は随分と幅のある表現になってしまっているのだ。黄色は範囲が狭いので、少し青が混じると、一瞬で黄緑扱いである。青紫が赤紫になるのは、中間の紫まで随分幅がある気がする。
どちらか言うと、「青」は「空色」を基準にしやすい。緑は森にサンプルはあるが、雑多でそもそも中間色だ。

「水色」と言われても、水は透明だし、緑色のチューブがなんでビリジアンなのかを悩むのは図工の時間で水彩画が始まってからだろう。緑は光の三原色の一つだなんていうのは、理科で頭でっかちになったあとの理屈である。緑というのは、多様なのだ。少なくとも日本では。

そして、じゃぁ、結局、あの「進んでよい」信号は「青」なの?「緑」なの?と聞かれて、
「色には幅があるのだよ」とか「法律的には、青信号だ」などと言っても、子供にとっては「????」と思うだけであろう。
「科学的には」「法的には」と、「お約束」をいうのが大人だからだ。

幼い子は言葉を覚えた時に、世界を分かつ。ものの名前を覚えた時、それがあれとは「違う」ということを知ってしまう。世界はひとつではなく、いろんなものがあることを知ってしまう。自分は他人とは違うことを知ってしまう。

赤でも黄色でもない、青だか緑だか分かりづらい、みんなは青信号だと呼んでいるそれを見たら、右見て、左見て、もう一度右見て、進めばよいのだ。

「大丈夫?顔が真っ青よ」と言っても、血の気の引いた顔色をしているだけなはずなのだ。サッカーの日本ナショナルチームのサポーターの方が、よほど、真っ青な顔をしてるはずだ。

結論を言おう。

進んでもよい信号の色は「青緑」である。

進んでもよい信号は、一般に、「青信号」と日本語では呼ぶ。英語だとgreen lightと呼ぶらしい。green appleは青リンゴなのだ。真っ青なリンゴは多分、毒リンゴだ。

「青信号」は「進まなければならない」ではない。安全を十分に確認の上、渡ってもよいである。

例えば、たぶん、盲導犬は、「あ、青だ」なんていう認識はせずに、周囲の状況と、信号の光っている位置なんかを見て、判断してるのじゃないだろうか。彼らには「青」という言葉はないのだから。

「青信号」の迷宮に入ってしまうと、進むに進めなくなるのだ。

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で、実は、私の懸案事項は、「どうして黄色が注意なのだ?」なのだ。