Far antipodesDate: Mon, 28 May 2001
「上から読んでも、山本山、下から読んでも山本山。」というのは、往年の名コピーであるが、幼い頃からひねくれている私は、下から読んだら、「まやともまや、じゃないか。」と思っていた。その程度にひねている少年は多分、一人や二人でないだろうから、「手袋を反対に言ってみろ」なんてしょーもないネタで6回も叩かれる純朴な子が被害を受け、彼もひねてしまうのである。 以前に、ディベートの研修を受けたことがある。賛成、反対、どっちの立場に立っても、相手を論駁する手法があるのなら、それこそ、哲学だとか主義だとか、フィロソフィーだか、ポリシーだかは無意味なことになってしまうのじゃないか?なんて思った。立場を変えると、元の自分をも、否定する手法を持てるってことなのだろうから。概念上のゲームなら反対の立場に立てても、現実の状況では、そう簡単に転向するもんでもなかろう。いや、人の気分は簡単に変わるかもしれない。論理は後からでもついてくる。というか、そういう状況で、自分側を擁護なり弁護なりする手法なんだろうなぁ。と思ったりする。 仕事で打合せなどしていて、相手の提案に対して、質問したりすると、「逆に言うと、どうすればいいですか?」という応答をする人がいる。先に質問をしたのはこっちだ。それに対する回答もらってないぞ。 それに、話し合いで、簡単に提案の内容を変更できるということは、勝手に「落とし所」なるものを設定して、勝手な「マージン」をあらかじめ用意してるのか? 再検討するのでなく、あらかじめ余裕を持ってるのか? なんか傲慢な気がする。などと言ってるから、私はろくに値引きもせずに表示価格で買ってしまうのだ。じゃぁ、交渉すれば、なんとかなるのか? 果してそれは、ネゴシエーションといえるのか? 「どうすれば」などと聞かれるものだから、こちらが正直に要求を述べてみる。すると、さらに、「逆に言うと、そこは、対応が難しいです。」などと言う。「難しい」というか、できないんだろうなぁ。なら「どうすればいいですか?」とか「どうしたいんですか?」なんて、あたかも許容範囲のあるかのような言い方しないでいただきたい。 「逆に言うと」と言われると、「じゃぁ、あんたの意見はないのか?」と、それこそ逆に問いただしたくなる。「逆に、こちらから言わせてもらうと、、、」みたいに相手の意見がそこから始まるのなら、まだ良い。 「難しいです。」たぶん、これは、「できません。」という意味を多分に含んだ台詞に違いない。私だってわかる。「お金をかければ」とか、「時間をかければ」という拘束条件が加わるのであろう。で、「逆に言うと、お金や時間かけるとできるの?」まぁ、おそらく、できる。程度問題に陥ってしまうのである。 「「問題が起こる可能性がある」可能性」は100%である。 「逆に言うと」星人は、聞くことしかできない。話すことができない。相手の要望を明確化するための話術のつもりなんだろうか。聞いて話せなければ、コミュニケーションは成立しない。「逆に言うと」星人と同席してしまうと、なんだか地球でないどこかにいるような気がする。相手を見ると、擬態の上手なエイリアンなんじゃないかと言う気がする。 私は、他人が私ではないことくらいは分かっている。カラスとイヌとネコとヒトは観察するのに困らないくらいの数が、街の中に存在している。ただ、私にはカラスの個体識別能力は乏しい。「逆に言うと」星人は、話してみないと分からない。話してそれとわかった時はもう遅い。異星に拉致されてしまっている。 「逆に言うと」星人は、一次元の直線の上に存在している。無論、むこうには、むこうの事情があるのだろうから、彼らのバックグラウンドは多次元に違いないのだろうが、こちらと話している限りは、綱引きの一次元の上にいるように見える。 油断していると「逆」じゃなくて「あさっての方向」とか「ねじれの位置」に向かいかける。我々は外形的には三次元の世界にいるが、概念的にには、多次元の世界にいる。そう思うと、「逆に言うと」というのは、シンプルに事象を一次元に引き戻す効果があるような気もしないでもないが、、、 「逆に言うと」星人と同席すると虫酸が走る。虫酸というのは蟻酸であろうか HCOOH もっとも簡単なカルボン酸。キンカン塗ってアンモニアで中和するのでなくて、カンカン空けてアルコールで緩和する。むかついて胃液が逆流する。あ、虫酸って胃酸のことだったか。はっ!もしや、これは「逆に言うと」星人の策謀か?いやいや、単に、私が自堕落なだけであった。
---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------ むしず【虫酸・虫唾】 |