(む}Zoo-lassic park

Date: Mon, 26 Mar 2001
カラス。

スチャ、スチャと重量感あふれる歩み。いいもの食べてるのだろうか、黒光りというのはこれのことじゃないか、と思う。「カ〜ラ〜ス〜なぜ鳴くの〜」の後が「カラスの勝手でしょ〜」と歌う児童が多いと、保護者のみなさんが嘆いていたのは、私が小学生の頃だ。「カラスは山に〜、か〜わいい七つの子があるからよ〜」っていう方が余程、欺瞞だと思うのは、私が既に十分にひねくれてしまったからだろうか。カラスは一度に七つも卵を産むのだろうか?、それとも七才?だろうか、もう子供でなくて、立派な大人なんではなかろうか。いや、カラスの寿命がどれくらいかは知らないのだけど、、、町歩きしながら、ゴミ置場に群がる彼らに「どうなのよ?」と問い掛けてみても、彼らは首を傾げるだけで、それさえ「どうかしら?」という意味ではなく、鳥特有の仕種の一つにすぎない。

ハト。

彼らもまたとぼけている。いや、彼らから見ると、私の方がとぼけてるかもしれない。誰かが広場で餌付けしたのであろうか。ずいぶんと集まる。餌を食べればフンをする。糞害に憤慨するのは広場の管理人さんである。それにしても、どうして小さいお子様は、ハトを追い立てて飛び立たせて、あんなに喜ぶのだろうか。誰かが教えたのだろうか。彼らが発見したのだろうか。狩猟民族の血が騒ぐのだろうか。ヒトは本質的に、攻撃的なのだろうか。私も小さいときにはハトを追い立ててたのだろうか。ハトは首を縦に振り、うなづいているが、別に私に賛同してるわけではない。

イヌ。

多くはヒモに繋がれている。目になんとなく哀愁感があるような気がする。ご主人さんは仲良くしてくれてるかい?でも、雨の日に、雨合羽を着せられて散歩してるのはいかがなものか?と思う。町ではイヌのフンは目の敵にされる。そこかしこに警告文の貼り紙がある。「飼い主が責任を持って持ちかえりましょう。」路肩に犬用水洗トイレというか、下水直結の口でも作ってあげればいいのに。と思う。しかし、なんでイヌはあんなに人に寄り添うのだろう。

ネコ。

多くはヒモに繋がれてはいない。気だるそうに日向で丸まっている。しかし、君、道をいきなり渡ろうとするのは控えた方がいい。道をいきなり渡ろうとするのは、ネコと、ヒトのおばあちゃんの悪い癖だ。ネコでもおばあちゃんネコの方がそういう傾向があるのかどうかは知らない。道端で、ちょっと愛嬌を振りまけば「かわいい」と言われて、なんか貰える。おいしい奴だ。なかには、要領の悪いネコってのもいるのかもしれないけれど、なんか、ずるいなぁ。と思う。

ヒト。

たくさんいる。駅のプラットフォームで電車を待つぼく。数メートル離れた所に別の人がいる。数メートル離れているのだから、その人が見るこの世は、おそらく、ぼくの見るこの世と数メートル分違っている。その上、おそらく、感じてる世界は、おおよそ、ぼくの想像もできないことを考えている。人によって世界は違う。数十億の人々がいるから、数十億の世界がある。

人は、表情と言葉を使う。それは人に人の思いを伝える役割もするけど、誤解を誘うこともある。100%は伝わらない。そもそも、自分の思いをまず、100%言葉に乗せるほど器用ではない。なんとなく、わかった気がするその程度で、幸せな誤解をして、なんとかやっていかなけりゃならない。心の壁が行く手を阻む。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 特に読み進まず。
当時の世 桜がほころび始めた。ミールが落ちた。芸予地震。
当時の私 先週末からどうも、悪い妖精さんが来てて、調子よくありません。