Date: Sun, 28 Nov 1999
夕日に向かって走るのが青春なのは随分昔の話であるが、明日に向かって走りたいなら、おそらく東に向かって走った方が良さそうな気がする。たぶん、御来光に出会うまでの時間を短縮できるはずである。ぼくはメロスではないから、走らずに、布団の上で朝を寝て待つ。
御来光を早く見るには上に向かって行くという手もある。あいにく羽根は生えてないので飛び上がるわけにもいかない。実家の目の前にある中学校の合唱部の人達があまりに練習熱心で、聞き飽きているので、翼が欲しいとは思わない。ぼくは路上派なんである。
人に向かうのが苦手な私は、道すがらで目が合ってしまうと、相手の人に、「変な人がこっち見てる」と思われているのではないかと、やや被害妄想する。たしかに、私は変な人だし、たしかに、私はその瞬間、そちらを見ていたのであるから、妄想ではなく、事実である。なにも気に病む必要はない。
しかたがないので、辺りの物をキョロキョロ見回すのだが、そんなことをしてたら、ますます挙動不審である。視力はもとから悪いが、眼力も落ちたのか、なかなか愉快な物件には出会えない。
商店街を歩いていると、スピーカーから「七つの子」が流れている。その横の飲食店のゴミ置場らしきところには、いい物を食ってるのか黒光りしたカラスが飛来して、ズチャ、ズチャと重量感あふれるロボコップみたいな足音で跳ねている。
山にいる子供が7才というわけではないのは、故郷のウサギがおいしいわけではないのと同じであるし、赤トンボに追っ掛け回されてみたわけでもないのと同じである。
教訓:同様に童謡の歌詞の聞き違いは、歳を重ねて気付き動揺を誘う。
ぼんやりビルの上を眺めていると、電光掲示板に「21世紀まであと400日」と出ていた。思わず「ものは、いいようだなぁ」と思った。1900年代最後のボジョレーヌーボーとか、ミレニアムおせちとかは、流行ってるのだろうか。カウントダウンの会場でY2K問題が発生してカウンターがダウンするとおもしろいかもしれんなぁ。と不謹慎に思ってみたりする。
どうせ、来年の年末には「20世紀最後の」企画で盛り上がり、再来年の年始には「21世紀初の」企画で賑わうのであろう。それを目にするためにも、あと400日はすくなくとも生きたいものだ。
明日のことも分からないので、明後日のことは、なおわからない。ましてや、明後日の次の日を、「しあさって」と呼ぼうか、「さきあさって」と呼ぼうか、「やのあさって」はあさっての次か、しあさっての次か、あるいは「ごあさって」と呼ぶか。わからない。
小学生の頃、級友の一人が、「しあさっての「し」は「四」だから、その次は「五」だから「ごあさって」だ」と主張していたが真相は知らない。もっとも彼はおとといの前日、つまり一昨々日(さきおととい・いっさくさくじつ)のことを「しあおととい」と呼んでいた。おそらく、しあさっての応用である。こちらは、ちと怪しい。
けなし言葉に、「おととい来やがれ」というのがあるが、タイムマシンがないので無理である。「顔洗って出直してきやがれ」「じゃぁてめえは首を洗って待ってやがれ」「朝シャン(もう旧い言葉かしら)してきやがったな」「覚えてやがれ」明日まで覚えているか、記憶力に自信がないからわからない。
なお、標準語として通じるのはせいぜい「あさって」までなので、その他の用語を出身地方の違う友人、知人との約束の時に使うと、すれ違いの原因になるので気をつけた方がよい。
私は手帳も時計も携帯しない。予定通りに進まないのは目に見えている。いや、私は予言者ではないから、予定通りに進まないのが目に見えているわけがない。予定通りに進むかもしれない。赤ん坊は必ず十ヵ月と十日で生まれるわけでなし、人はいつ死ぬかわからない。余命6ヶ月の保険はいらない。
もうじき今年も師走。七の月も遠くなりにけり。慌てなくても人類はいずれ滅亡する。たぶん、ぼくがその現場に立ち会うことはない。もしも地球上に、ぼく一人しか生き残らなかったとして、ほんとうの独り言を言うかと考えれば、たぶん、すぐ飽きると思う。独り言は面と向かってなくても誰かしらに聞かせてるものだからである。自室の私は寡黙である。
とりあえず、すくなくとも、あと400日は無事に過ごしたい。夢の21世紀は、おそらく夢で、現実の21世紀はたぶん、ダサダサな今日のつづき。なんだろけど。
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当時の本 『ジョーシキ一本釣り』玖保キリコ(角川文庫,
本体476円)ジョーシキと常識のギャップで勇み足をして笑いを誘う
当時の世 JRの故障って、最近になって増えたのでしょうか?
当時の私 線路に障害物があったのと、踏切故障でこないだ帰りの電車の長かったこと。車掌曰く「ただいまより、運転士が支障物を取り除きに参ります。しばらくお待ちください。」支障物を死傷物と聞き違えてドキドキしたのは私だ。