[*]Tele-communicative

Date: Tue, 21 Sep 1999

私の部屋の電話線は基本的に、モデムからの電子音しか受けない。時折、実家とか知り合いとかに、こちらから電話することもあるけれど、ほとんど発信しない。だから、携帯電話で会話している人を見ると、「なんで、あんなに会話することがあるのだろう」と思う。

でも、それは、単に、私に会話能力が欠如しているからに過ぎないのかもしれない。普段、町の中や職場でフラフラしていて、楽しげな会話をしている人を見るとうらやましくなる。私には気さくな会話をする能力はなく、気難しい独り言を言う能力しかない。

あらためて、自分の小ネタ集の名前を「MONOlogue」としたのは、語るに落ちているなぁ。と思う。 時折、電話した時、相手の電話が留守電になっていると、「残念だな」と思うと同時に、「ああ、良かった」と思ったりする。そして、テープに独り言を残す。

 「もしもし、わたくしウルトラの父ですけど、うちのタロウお邪魔してませんか」

上の小ネタは、私のネタではなく、私の電話に入っていた小ネタである。冒頭にも書いたが、私の電話は基本的に留守電である。部屋にいる時も留守電である。居留守しようというつもりなのではない。謎の電話や、勧誘の電話がほとんどで、私宛の私が聞きたい電話は月平均で0コンマ何件かしかかかってこないからである。

一時期は、時折掛けてくれる人のために、留守電メッセージにも小ネタをしこもうかと思ったくらいであるが、冷静に考えると、そんなに頻繁に人から電話がかかってくることはないのである。

豊臣秀吉がまだ、木下藤吉郎であった頃、琵琶湖の南に金目教という怪しい宗教が流行っていた。それを信じないものは、恐ろしいたたりに見舞われるという。その正体はなにか。藤吉郎は金目教の秘密を探るため、飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。その名は・・・○○参上

というのは私の留守電応答メッセージではなく、以前、猫の手が足りなくて、黒ネコの手先になっていた頃、不在の配達先に確認の電話を入れた時に聞いたメッセージである。私の応答メッセージには、飲みすぎた翌日のダミ声で、誰の家にかけたのだかわかんないようなボソボソとした呟きが入っているだけである。

相手の人が携帯電話だと、「今、先方はどういう状況だろうか」とか、「出先でいきなり話を持ってこられると、困るのではないだろうか」と思って躊躇してしまうことが多い。相手の電話番号を押し切って、2、3回のコールのあとに、留守番電話に切り替わらずに、さらに数回のコールでもまだ、相手が出ない時は、なんだかすごくドキドキする。

向こうでは、私のせいで、虫かごに押し込められたセミのように、ケータイが鳴っているのだ。いたたまれなくなって、受話器を置く。

「もしもし、○○さんのお宅ですか?」
留守電に相手の名前を確認してどうするんじゃ。
「××病院の△△です。せっかく自宅療養に切り替わった所、申し訳ないんですが、Aちゃんのこないだの検査結果が出まして、−−の数値が・・・」

と延々、病状の解説が続く。残念なことに、Aちゃんは再入院しなければならないようだ。
たまに留守電のテープの巻き戻しが長いと思ったらこれだ。以上は、Aちゃんを子供に持つわけではない私の留守電に入っていたメッセージである。私は、こんなウッカリさんな先生が主治医になるのは御免こうむりたい。

夜中に留守電が作動する。
「もしもし、俺ですけど、さっきベル鳴らしましたよねぇ・・・」
私はお前を呼んだ覚えはない。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『1+1は?』さそうあきら(文藝春秋、838円+税)写真の中に ある記憶、記録。
当時の世 台湾で大地震
当時の私 ビール控えようと思う。(って他の酒を飲むわけではない)

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