[*]Taro is back!!

Date: Sun, 14 Nov 1999

大阪でタローと言えば、たぶん、キダタローか岡本太郎だと思う。いや、キダさんの方が強いかもしれない。「澪つくし」に出ていた川野太郎は、近頃は某料理番組で「たまに行くならこんな店」にいつも行って飽食気味である。山田太郎は南海ホークスなき今は、入団先を西武ライオンズにしてがんばってるそうだ。
が、今日の話題は岡本さんである。

芸術の秋。というには、だいぶん冬になってきたが、まぁ、いちおう、小春日和な日曜日。ぼくは生田緑地まで、歩け歩け大会である。10月の終わりにオープンした岡本太郎美術館がそこにあるのである。私は知らなかったのであるが、太郎さんは川崎の生まれなのだそうだ。

私は昭和45年。つまり大阪万博が開かれた年に生まれたのである。母は、私を連れていってやったと言い張っているが、当時のおそらく乳児であった私の記憶は定かではない。

だが、しかし、小学校だか、子供会だかの遠足で、エキスポランドに遊びに行った時に見た「太陽の塔」には「なんだこれは?」と思ったような記憶がある。実家の店の得意先の酒屋のおじさんにもらったグラスの底には、なんだか、太陽の塔と同じような顔があって、太郎さんは「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」と言っていた。出初めのテレホンカードには、なにやら前衛的な書道かしら?という感じの太郎さんデザインのものがあった記憶がある。現物はたぶん、もう、持ってない。

小田急向ケ丘遊園駅から、のぼりに導かれるようにテクテク歩く。地元商店街はこの美術館オープンに伴い、関連セールのようなものをやっているのである。本屋さんには、太郎さんの本の平積みになったコーナーがあり、お菓子屋さんはなにやら、オリジナルの菓子を売っている。

商店街を過ぎて、だいぶん歩いて、生田緑地に着く。入口付近に、たこ焼きと焼きトウモロコシと、イカ焼き(いや、焼きイカかな?)の露店が出ていた。郵便局の臨時出張所とかいうところでは、記念の絵はがきを売っていた。オープンした時にいたらしい「アセス条例違反だ」と言う反対団体の方のビラ配りには出会えなかった。

最近整備されたのだろうか、アスファルトのにおいが鼻につく。緑地でアスファルト敷ってのも野暮だなぁ、と思いつつ、テクテク歩く。入口近くの日本民家園で、共通観覧券のようなのを売ってたけどスルー。もすこし歩くと、子供科学館のようなのがあってプラネタリウムらしき建物があったが、それもスルー。なにやら、三脚を備えた団体様に出会う。なにかしらバードウォッチングだか、風景写真だかのサークルであろうか。

緑地を奥に進んでいくと、途中から森の中に入り、地面はアスファルトから石畳に変わっていた。日差しが遮られて肌寒い。でもまぁ、ここまで歩いてきて、少々身体がほってっているのでちょうどいい。森の奥の階段の上の一段高いところに太郎さんの美術館は建っていた。

まずは、どんどん階段を上がっていって、シンボルタワーであるところの「母の塔」を鑑賞する。っていうか、見上げる。上に並んだ人の形になんだかクラクラする。デジカメで一応写真を撮ったが、あとで写真を見ても、あんましクラクラ感がない。やっぱり、現物を見上げるのとは違うのかもしれない。「母の塔」の足元まで寄ってみる。どこかのお父さんが寝ころんで、カメラを構えて、その横で、お母さんとお子さんたちが跳ねて写真を撮っている。そうい構図を思いつかせて、鑑賞者を、にわか芸術家たらしめるようなパワーを太郎さんの作品は持ってるのかもしれない。

お母さんは結構大根足である。

美術館に入る。入口の横の券売機で一般900円(特設展示を合わせた値段らしい)の切符を買う。展示場に入ると、ほの赤い空間におなじみ、あの太陽の塔にもついている、いかにも太郎さんな顔の彫刻が迎えてくれる。

展示物を見て歩く、そこにある数々の作品の色使いや、造形をみて、素人の私がいうのはなんだけど、「むむむ、太郎さんだ」と思う。そして、足元がグラグラする。揺さぶられる。抽象画だから、具体的な何かが見えるわけではないのだけど、「なんだこれは」と思いつつグラグラする。「越える」とか「毒」、「ぶつかる」。「職業は人間」といった太郎さんのキーワードが想起される。

どこかのお子様が言う「なかなかうまいじゃない」その子の母親らしき人が言う「あたりまえじゃない、すごい人が作ったんだから」でも当の太郎さんは「芸術は「うまく」あってはならない」と言っている。

表に出て、一息ついて帰ろうか。と思うが、グラグラする。べつに寝不足とか、昨夜の酒が残っているわけじゃない。

帰り道。たまたまプラネタリウムの上映開始のアナウンスが聞こえてきた。ちょっと心引かれたけれど、ぼくはそのまま、歩け歩け大会を続けるのだった。

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当時の本 『孤独を生ききる』瀬戸内寂聴(光文社文庫, 457円+税)寂聴尼は「かわさき市政だより」に太郎美術館の推薦文を寄せている。
当時の世 トルコでまた地震があったらしい。
当時の私 部屋に帰って「アポロ13」をビデオで見た。1970/4/11つまりぼくが生まれた日、アポロ13は打ち上げの最中だったのだなぁ。極限の中の一致団結。たしか小学校の卒業文集の将来の夢の所に、ぼくはスペースシャトルに乗りたいと書いた。

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