[*]Neck breaker drop

Date: Sun, 21 Nov 1999

あう、首が回らない。と言っても、別に多額の借金を抱えているわけではない。物理的に回らないのである。いや、私はフクロウではないし、ネジ締め式でもないので物理的に回らないのは至極当然である。時折、寝グセで頭がミミズクのようになっている日もあるので、カラーコンタクトでも入れて目を黄色やオレンジにするといい感じかもしれない。

ドライバーのことをネジ回しと言うと、なんか歳をとりそうな気がする。
というのは、こないだ、湯船のことを風呂桶と書いてみて思ったことである。湯船という表現自体がなんだか古そうにも思えないでもない。
ハンガーにベストを掛けるのか、衣紋掛けにチョッキをかけるのかの違いである。

それはさておき、首が回らない。と本題に戻りたいところであるが、気になるのは「果して、首とはどこからどこまでであろうか?」ということである。これを明らかにしないと、ネックになって進めないのである。首なだけに。

くちびるならば、別に口紅をつけなくても、周りの皮膚とは色合いが違うので境目がよくわかる。あれは本来、内皮だったのもが反転して表に出ているのだそうだ。怪我をして赤身が出てくると、かなり痛々しい。でも唇が赤くても痛いと感じない。慣れなのだろう。が、ひどく真っ赤な口紅の女の人を見るのはそれはそれで痛々しい。
私はコケティッシュとコケコッコの違いが分からない。

色分け説を採用してみる。上の方は髪の毛が生えてる。無理に丸刈りにすると、青く色が違っている。つまり、その辺りはもう頭だと思っていい。襟足の産毛はどうするのかという問題はこの際、考えないことにする。というか、毛を刈らなくても、頭はやはり頭蓋骨のある辺りだから切りわけは簡単そうである。

問題は下の方である。どこから肩で、どこから背中なんだろうか。背骨の節の、上何個か分を頸骨と呼ぶらしいので、その周りは首ということにしようか。それでも肩と首の境目はどこかよく分からない。

そういえば、だいぶん頭が禿げ上がってきた親父殿が、顔と頭の境目を見分ける方法として、「額に皺をよせて、シワのできる所までが顔」と言っていた。したがって、いかにオヤジと言えども、お店で出されたオシボリで、顔を拭くにしても額の皺よりも上を拭くのは行き過ぎなんである。

その説を応用すると、首を横に傾けて皺になる辺りが肩との境目なのかもしれない。と思って首を傾けようとしたら痛くて傾けられない。
肩ニ向ケテ傾ケタカッタガ、痛カッタカラ傾ケラレナイ。
なんとなく早口言葉風だが難易度は低い。実際に首を傾けることの方が今の私には難易度が高い。

以前、「肩凝りは日本人に多い症状だが、英語には「肩凝り」というのに相当する単語はない。おそらく、英語圏の人は肩が凝らないのだ」という説を聞いたことがある。英語の苦手な日本人である私は英語と聞くと肩が凝るのだが、その症状を相手に伝える単語がないというのは哀しいことである。

そうか。「肩凝り」という単語をなくせば、肩が凝らなくなるのか。んなわけはない。ヒトの身体のしくみには大差はないと考えれば、異人さんだって肩は凝るはずである。
呪術的な外科治療なんかだと、痛いところは取り除くと聞く。肩が痛い場合は肩を無くしてしまえばよい。じゃぁ首が回らない私は、首を落とさなくてはならなくなる。それでは、誤った介錯、もとい解釈である。

うむ、低周波治療機を入手したのでそれをレビューするつもりだったのだが、話のマクラがでかくなり過ぎたようだ。でかい枕が必要なくらい頭でっかちだから、自分の頭を支えるだけで、首が凝るんだな。多分。
対策:あんまり考えないこと。

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当時の本 『アラーキーのTARO愛 THE TRIP TO TARO OKAMOTO』荒木経惟 (光文社, 2500円+税)生命ってエロチックだなぁと思う。
当時の世 買ってはいけない論争と、動物占いが流行ってるらしい。 ガンダム関連の本も多い。本屋にて。
当時の私 AIBOはずれたらしい。私はライオンさんらしい。

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手元の辞書を引くと、「肩凝り」は「Stiff shoulder」と出ている。jpなサイトを見に行くと、なるほど肩凝りなんだけど、米国なサイトを見にいくと、どうも、四十肩とか、入院とかで動かさなかった時の症状とか、精神的なショックで固まってしまった場合とか、そういうのの方が多いような気もする。どうなんでしょうね。