[*]Soliste

Date: Sun, 9 May 1999

咳をしても一人

というのは、尾崎放哉とかいう人の俳句である。中学だか高校の国語の時間にこれを初めて目にした時は「どこが俳句やねん」と思ったものだが、この週末、私は、まさに、「咳をしても一人」であった。

横隔膜がベコンベコンいってるんじゃなかろうかと思えるような咳を連発しながら、「うう、死むる〜」と独り言ちつつ、腹筋や背筋を使って咳き込んで、「うむ、これで、弛んだ腰周りがいくらか締まるかもしれんな」と思ってみたりした。

「いかん、いや、マジで苦しい。」と思いつつ、「そういや前に、「まじめ」ってのは「真面目」って書くのだからと言って、「マジで」を「真面で」と漢字で書いてた知り合いがいたなぁ。」と思い出し笑いをしかけたけれど、今、横隔膜はお笑いモードではなく咳き込みモードであった。笑うつもりが咳が出た。言うまでもなかろうが、私が使う「マジで」は「マ」にアクセントがある。

「「本気」と書いて「マジ」と読ますのもありますなぁ。うむうむ。」と咳と咳の間に独り突っ込みなのだか、2段ボケなのかわからないことを考える。頭の中がグルングルンと、まぁ音はたてないけれど回ってる気がする。視界の向こうはうっすらと霧がかかっているようである。

「いけませんなぁ。遺書でも書きますか。」と思いながら、結局、布団の上でゴソゴソとネタを書いている。前にもどこかで書いたかも知れないが、遺書に「先立つ不幸をお許しください」などと書くのは、ナルシスティックな人のやることである。本当は「先立つ不孝をお許しください」だ。「不幸」なら許しを乞うというより、哀れを乞うところであろう。

悲しくないのに涙が出る。たぶん、熱が出てるのだろう。病気の時に熱が出るのは体内の防衛軍が活動するのに、体温が高い方が都合がいいからだと聞く。咳だって喉の痰とか細菌とかを排除するための、必要悪とも言える。

咳止めとか解熱剤なんかを使って、症状を抑えながら頑張ってしまう人がいるけれど、体の応答を抑えてしまってるのだから、すごく不自然な行為をしてるのじゃないか。と思う。と言い訳して、土日は休日出勤予定を返上して、ほとんど自室でくたばっていたのである。

いまだ冷蔵庫を持たない生活をしている私は、飲み物の備蓄というのがあまりない。フラフラと出ていって、とりあえず、牛乳の1リットルのパックと、1.5リットルのスポーツドリンクと、ビタミンCのサプリメントを買ってきたのであった。

先に、咳止めを使いながらなんとやら、と書いておいてなんなんだが、私は「エスエスブロン液エース」を手にしていた。こいつをキューっとやると、結構クるらしいが、それは体調のいい時にやるもので(いや、やるものではないな)、今は正真正銘の病人であるから、規定の用法に従って、付属の計量カップで5ml、チビリとやるのであった。乙だねぇ。どこがじゃ。

どのみち安静にするのが一番の薬だわな。とグッタリしていると、ドアホンが鳴る「ピーンポーン」そのあとドアをノックする音「コンコンコン」。寝癖爆発頭によれよれジャージ姿でフラフラと出ていくと、なにやらT京電話の売り込みの方であった。「ぼく、ほとんど電話で人と話さないから結構です。」

さぁ、寝込むぞ。

「ピーンポーン」再び、ドアホンが鳴る。そのあとドアをノックする音「コンコンコン」今度はY売新聞の売り込みの方であった。「大家さんとこにも許可頂いて、訪問させていただきました。」たしかに、私の下宿は大家さんちの敷地内にあるのだが、私の部屋を訪問するのになんで大家さんの許可がどうとかこの人は笑顔を浮かべながら言うのだろうか。ビールやら洗剤やらサービスしてくれるらしいが、丁重にお断りした。

普段の休みの日は歩け歩け大会を開催していて留守にしがちな私である。そか、部屋にずっといると、これくらい売り込みな人が来るものなのかしら。ま、いいや。だるいし。

ぼんやりと蛍光灯を見上げると、やはり視界に霞がかかってるのかと思ったら、クモが立派な巣を作っていた。思わずそれを破壊した。「そんな殺生な」とクモが言ったかどうかは知らないが、これで私が地獄に落ちても天上から糸が垂れられることはないだろう。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『しゃべる唯幻論者』岸田秀(青土社, 2200円)対談集。帯に、「世紀末への処方箋」とある。再来年くらいには「新世紀への処方箋」となるのだろうか。唯幻論って、「気のせい、気のせい」ってことかな?
当時の世 冷房のかかってるところが増えた。
当時の私 たぶん、そのせいで喉が痛いのだろう。

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