[*]Room for room 6

Date: Sun, 31 Jan 1999
Mon, 22 Feb 1999 記

さて、お引っ越しである。とりあえず荷造りをしなければならない。寮の私の部屋の押し入れの奥には、ここ3年間に実家から送られてきた荷物の入っていたものや、購入した物の箱が有事に備えて、備蓄されていた。

そもそも寮の部屋は大型家具持ち込み禁止であったので、ほとんどが箱詰めできる荷物である。衣装持ちでもなく、自炊するわけでもない私の荷物はほとんどが、とっておいた新聞・雑誌・書籍と、あとは怪しい物品の数々であった。つまり、私の荷物は衣食住と直結していないのである。

普段、「まったく、読み返しもしないのに、何をこんなに取ってあるんだか」と自分で呆れているのであるのだけれど、いざ、荷造りとなると、つい、出てきたものを読みはじめてしまって、全然進まない。ビデオが出てくると臨時鑑賞会を開催したりする。

引っ越しの時は、物を捨てるチャンスだなどと聞くが、捨てるに捨てきれず、また、こんどの部屋のキャパは、寮の部屋よりは大きいのでとりあえず、全部持っていこうということにした。それにしても、紙というのは、あんまり詰めると重くて腰を抜かしそうになる。

とりあえず、エイヤ!と詰めだすと、段ボールの在庫が尽きてしまった。仕方がないので、寮の資源ゴミ置場に潜入して箱を調達するのであった。うむ、リサイクル、リサイクル。かくして、大小あわすと50個もの箱が完成したのであった。一体、どこに納まっていたのやら。入寮する時に実家から送ったのは3個だったはずなのだが、かなり増殖したらしい。

なるだけ押し入れに押し込んだのだけど、大きい地震が来たら確実に生き埋めという体制でダンボ−ルの城壁の中で布団を敷く私であった。

翌日、管理人さんとお話。
「すいません。こんどの週末に職場の先輩が都合がつくから手伝ってくれるってんで、引っ越ししちゃおうかと思ってるですけど。」
「ちゃんと書類出してくれた?」
「???」
「退寮の2週間前に出すことになってたでしょ」
退寮後の住居の調査書のようなものがあって、それを少なくとも2週間前までに出すことになっていたのである。
ん?それじゃあ、おいらは2月の半ばまでは出てはいけないのかい?私はおなじみの屁理屈でもって、どうせ書類上だけの話でしょ、と思いながら
「じゃ、こうしましょう。書類には今日から2週間後の日付書いておくんで、荷物は今週末に運んじゃいます。で、2週間後までに部屋の片付けしに来て正式退寮ってことで」と言った。
なにせ、2月に入ると、今回依頼していた先輩方の都合が合わなくなるし、私の仕事も忙しくなるのが目に見えていたので、けっこう、ピンポイントな日程だったのである。

「で、その2週間の間、どっちに住むの?」と言われて、はたと気付く。
水道はメーターの栓をひねれば出るのだろう。電気はブレーカーを上げれば電気は来るだろうけど肝心の電気製品がない。ガスは開栓に立会いが必要だと聞く。電話だってない。

うう、やはり、衣食住の機能のないまま私は暮らしていたのだと再確認してしまった。私は新居にライフラインが開通するまでは、寮から通うことにして布団はしばらくこちらに置いておくことにした。

そして週末。手伝ってくださる、みなさんのステアリングさばきや、アクセルワークに影響が出るといけないので、私は、部屋から寮の入口前まで荷物を事前に下ろしておくことにした。しかし、私の部屋は3階である。エレベーターも台車もない。久々にほんとに力仕事であった。「やっぱ、みんな来てから手伝ってもらった方がいいかも?」という考えも頭をかすめたが、半ば意地になって、小一時間で全部下ろし終えた。腕はパンパン、ひざはガクガクであった。

もう少しで下ろし終えるという時間に三人が到着。私が階段をフラフラしながら残りを持って降りてるうちにほとんど積み終えていた。人数の力は偉大だと思った。

3台連なって少々ドライブ。私の新居の前の道はなかなか狭い。みなさんのワンボックスやワゴンは入れるのだろうか。と思ったが「宅急便の車が入れるくらいなら問題ないんじゃないの」という事前の見解であった。しかし、アパートの前まで来て、先輩は「これまで手伝ったことのある中で、ここの道路が一番狭い」とおっしゃった。

引っ越し先ではみなさんが階段を上がってくださった。私は部屋の中の担当になってさながら昔懐かしい「倉庫番」というゲ−ムのキャラクターになっていた。広くなったと思っていた部屋はみるみる狭くなった。先輩に「あんまり広くないじゃん」と言われて、ちょっとずっこけたのだが、6畳よりも広い部屋には今まで住んだことがない私は、なんだかわけもなくうれしいのであった。

そのあと、みんなで昼飯を食べにファミレスに行った。今回の手数料として、ここの勘定は私の財布である。それでも4000円で引っ越せたのだからおそらく業者を使うよりは随分安いはずだ。箱の数は多かったけど、大きな家具がない分、やりやすかったらしい。

同じ方面に帰る先輩の車に同乗させてもらって、布団の残る寮に戻った。ものがなくなった部屋は、広々としていて、声が軽くエコーがかかる感じで響いた。その部屋で数日生活しながら、あの大荷物がなくても、なんの支障もなく暮らせるので「ひょっとして、あの荷物、全部いらんもんとちゃうか?」と思った。

つづく

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 寮のあった町にはやたらと本屋があったのだが、こんどの町にはこじんまりとした小さなお店があるだけのようだ。
当時の世 梅の匂いがする。
当時の私 多忙。いまだ引っ越し作業は完了してないとも言える。

目次へ戻る