[*]Katakol'nikov 3

Date: Wed, 18 Aug 1999

前回までのあらすじ(嘘2)

怪しい社会人カタコリニコフは、肩凝りにはマッサージくらい許されるとの観念をいだき、韓国式マッサージを訪ねるが、予期せぬ危機感に脅かされ、「愛は何処だ」と自問し、路上観察に赴く。 

『済と×』ソフトエムスキー


後ろ手にされたり、腕を組んだ状態で肘を持ち上げられたり、いくらか整体のような所作もあるが、果して本格的なものなのだろうか?と思っていると、なにやら、メントール系の匂いのするヌルヌルなゲル状のものを体に塗り付けられはじめた。

おでこを枕に載せたぼくは、視覚を塞がれている。その分、他の感覚に頼る。「今、何、塗ってるですか?」「オイル、デス。」隣のパーティションからはなにやら嬌声が聞こえる。どうやら、そちらはそちらでよろしく致されているらしい。

オイルなりローションなり塗ると、皮膚の摩擦係数が下がるので、それで擦るとそれはそれで、それなりに、気持ちいいのであるが、特にプロの技という感じはしない。などと怪しい考察をしているうちに、蒸しタオルを全身に2枚重ねされた。蒸される感じがよい。果して、この辺りが韓国式なんであろうか?

そのタオルの上から、彼女、ぼくの背中や、太股や、ふくらはぎや、足の裏を踏んでくれる。体重がかかっていてここちよい。小さい頃、父が馬乗りになって来て、「尻の圧力だから、ケツ圧」と、どうしようもないギャグをかましていたのを思い出す。

思い出に耽っているうちに、先程の蒸しタオルは、すっかり蒸発熱を奪われて冷えタオルに成り下がっている。これでは、体表の毛細血管が収縮して、血行が結構阻害されて、マッサージ的にはよくないのではなかろうか。
(先の一文の中に駄洒落が一つ混入しているのは秘密である)

一通りぼくを踏みおえた彼女は、その冷えタオルで全身のオイルをぬぐい取って、やおら、ぼくの足のくるぶしをつかんで、両足を持ち上げた。
(はっ!まさか、この体勢は、あの...電気あんま!?)
背筋を戦慄が走り、せっかくぬぐってもらった体にいやな汗が出る。
彼女は持ち上げた脚を小刻みにプルプル揺すったあと、ドタン!と落とした。幸い、ドタン!と落とされた際に、股間を軽打するに止まった。ふーっ違ったようだ。

すると彼女は言った。「ヨコニナテクダサイ」
(ん?、すでに横になってるぞ?)「え?」
「ヨコムイテクダサイ」
首を横に向けたら、そこには例の視界の端を移動していた御御足(おみあし)があるのであるが..?
「ヨコナッテ、ムコウムイテクダサイ」
どうやら、うつ伏せでなくて、横向けになれと言ってるらしい。

上になった方の脚を曲げながら前に出し、ぼくの肩と腰に手を添えた彼女はエイとばかりに気合をこめるようにして、ぼくの体をねじる。ボキボキボキッ!とすさまじい音が腰からした。思わず、「おお!」「オオ!」とハモってしまう。

自慢にならないが、ぼくは首や肩や腰が結構鳴る。このままだと歳をとった時、骨がすり減ってなくなっちゃうんじゃないかと密かに心配している。

「アオムケニナテクダサイ」
20数分ぶりに面と向かうのは妙に照れる。サービスはいらないと言った辺りが凝り始めてはいないか心配だったのだが、幸い聞き分けのいい愚息は平静を保っている。平静を保ちつつも、「オ客サン、ヤパリココモ凝テルネ」と攻められるのではないかと妄想している。おそらくヰタセクスアリスの頃にスポーツ誌のB級エロ小説を読みすぎたせいであろう。

仰向けになって相手に腹を見せるのは、動物にとって「まいった」の意志表示だとムツゴロウさんが言ってたような気がする。
それにしても、これでは、いわゆる、「まな板の上の鯉」あるいは、「解剖台の上のカエル」もしくは、「実は心の中ではブツブツ言ってるマグロ(あのね、ぼくね、紡錘形をしてるのはね。泳ぐことで浮力を稼いで体を浮かせるためでね。泳ぎつづけないと沈んでしまうのね。それをね。水揚げされてね。陸に転がされてね。その格好をマグロだなんて、失礼よね)」である。

片膝ずつ抱えるような姿勢にされて、彼女がその膝を押して来た。腰のあたりの筋肉のストレッチかなんかなのだろうか。「ソロソロ時間デスネ。30分、ホントノマサージスルニハ、ミジカイデス。」「オワリデス。オツカレサマデシタ」

ハンガーから取ってくれた服にふたたび袖を通すぼく。
「ジュース飲ミマスカ?」「え?」(ひょっとして、「ジュース飲みます」ってのは「延長します」っていう意味だろうか、はたまた、この「ジュース」ってのがえらい高いのではなかろうか。それにしても、山の上の自販機の缶飲料が高いのはまだしも、どうして、映画館や、ボーリング場の缶飲料は高いのであろうか?)考え過ぎである。

「あ、ありがとう。もう、帰ります。」「ソデスカ。オ客サマ、オカエリデ〜ス」
初めに応対してくれたマダムが玄関口まで見送りに来た「イカガデシタカ?」「すこしは、楽になりました。ありがとう。で、どの辺りが韓国式ですか?」
彼女はあいまいな笑顔をして、「ホントノマッサージスルニハ、30分ミジカイデス」と言った。「ありがとう」「マタヨロシクオネガイシマス」

階段を降りつつ、

健康マッサージ。健康。英語に訳すと、ヘルス。ヘルスというのを和製英語的に考えると、やはり、あやしいよなぁ。やっぱり、我々は間違った日本語を彼女らに覚えさせてしまってるのではないだろうか。

あとで知った話であるが、韓国式という看板を掲げたいわゆる風俗産業というのも結構あるらしい。いや、まて、風俗ってのがそもそも、もとの意味から逸脱してるよなぁ。もとは地域由来の文化みたいな意味のはずだものなぁ。
大阪には「ファッションマッサー」と書かれた看板を掲げるお店がある。なんでか「ジ」一字だけが省略されている。ファッションクリーニングとはあんまり関係ない。

と、またしても考証を試みるふりをしてみるのであるが、単に、私がトホホなだけであった。その時、確かに肩は軽くなったのであるが、翌日以降、どうやら戻ったらしく、カタコリニコフはまだ肩に罪を背負ったままでいる。

それにしても「ほんたうのまつさあじ」というのは...
カタコリニコフの苦悩はつづくが、このお話しは終わりである。

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当時の本 『性的唯幻論序説』岸田秀(文春新書, 770円+税)本能が壊れている人類は、明確な発情期を持たないが、発情するためにはなんらかの幻想にもとづいて興奮を呼び起こす必要がある。そういう意味では男はみなフェティシストである。
当時の世 関東地方大雨。
当時の私 ボーリングを3ゲームくらいして、酒をかっ食らって、寝るのが実は、私の肩こりには一番効くらしい。

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「愛は何処だ」と自問し、路上観察に赴くのは、『愛のさかあがり』とり・みき(ちくま文庫)である。