[*]Conceal please

Date: Sun, 13 Jun 1999

最近、何度か人と飲む機会があって、その場で、「それって、セクハラだよぉ」みたいな茶茶を聞くことが何度かあった。というか、別に酒の席でなくても、その台詞を耳にすることは多い気がする。

叱責というよりは、茶茶だから、「冗談めかしてひやか」していることになる。洒落にならないからハラスメントなんだが、洒落ってことで済むってことは、聞いてる人の器量が大きいのか、言ってる人が取るに足らない人だから大目にみられているのか、どっちかなんだろうな。と思う。

嫌がられるから「嫌がらせ」なんだから、嫌がらないと「嫌がらせ」にならないのかも知れない。洒落にならない時は、ちゃんと抗議しないといけないし、ちゃんと謝らないといけない。でも、まぁ、これは、「セク」に限らず、「ハラ」の方の話である。ユーモアを失わずにたしなめることが出来れば、粋なんだろうなぁ。と野暮な私は思う。

少し調べてみたら、「セクハラ」という単語が流行語に選ばれたのは、もう10年も前の話であるらしい。10年経ってもまだ、ひやかし用語にしか使われてないというか、その程度の軽さしかないから流行語だったのかもしれない。

職場のパソコンのデスクトップの壁紙に、どこぞの雑誌のグラビアか(っていう表現してたら、なんか古い人みたいな気がする。近頃は、そんな媒体を経由しなくてもダイレクトに入手できるのだから)というような、ちょっとエロチックな写真を載せてるのなんかを見ると、「男しかいない職場であったとしてもいかがなもんかと思うぞ」と思う。

もっとも、15年くらい前のなんだかゾワゾワしはじめた頃のぼくなら、「なんとかして、あの画像ファイルを入手できないものか」と思ったに違いない。それでも、おおっぴらに見ようとはせずに、コソコソと鑑賞しただろう。だから私は、あられもない画像をあからさまに表示させている人の画面を見ると、「それは違うぞ」と思う。ま、私が真面目なのではなくて、単にムッツリなだけである可能性が高い。

隠してこそのエロだと思う私は、普通の本屋の一角の「男性雑誌」というコーナーが、なんだか丸出しになったチンチンのような気がして仕方がない。コンビニのマガジンラックの隅の方もしかり、エロがコンビニエントになってはいけない。

スポーツ紙なんかのその手の記事も、電車の中で通勤の途中で読んではいけない。あれは、さりげなく飛ばして、あとでご自宅でじっくり鑑賞してはいかがか。

近頃、暑くなってきたので、また、どうみても下着のような格好の女の人が増えだした。目のやり場に困るので、あれは明らかにセクハラではないかと思われる。目のやり場に困るといいつつ、しっかり観察してるではないかというツッコミは無用である。

私はエッチな心で見ているのではなく、「なぜに、この状況をエッチだと私は思うのであろうか」という心で見ているのである。端から見てると、単なるエッチな目線をしているのかもしれない。

だからと言って、私の視線を感じたからといってセクハラだと訴えないで頂きたい。免許証に「条件:眼鏡等」と書かれる私の裸眼では、モザイク画面を目を細めて見るくらいにしか見えないのである。いやAVじゃなくて、ヒントでピントね。

セクハラについて考えるつもりが、単に私はやらしいという話になってしまったようである。お粗末。

それにしても、町は、エッチな雑誌よりもエロチックだ。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『江戸前の男 春風亭柳朝一代記』吉川潮(新潮文庫, 743円) いちおう、ぼくは関西人なんだけど、江戸と東京は違うなぁ、と思う。 上方と関西はまだ近いと思う。粋に生きたいなぁ、と思う。
当時の世 梅雨入りしたらしいけどいい天気。
当時の私 「半分くらい切ります?」と言った散髪屋さんは9割くらい切ってくれた、軽くて涼しくなったから、ま、いいか。

元来、エッチというのは「Hentai」の頭文字であるからして、通常のエロはエッチではなかったのかもしれない。

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