[*]Is it sexy-style?

Date: Mon, 01 Sep 1997

太陽が沈むのが早くなったといえども、昼間の日差しはまだまだきついし、アブラゼミはまだジージーと鳴いているから、残暑と言っていいと思う。まだ暑いので、胸肩さんや肩背さんは昼間の街頭で、ペチャリクチャリと鳴いている。

今年の夏は、「セクシースタイル」というのが流行っていたらしいのである。スリップドレスやらホールターネックとかいうやつである。スリップドレスというのがひも付きのミニのワンピ−スで、ホールターネックの方が金太郎みたいなやつだと私は認識している。

今年の夏、帰省した際、さぞや大阪でも「セクシースタイル」というやつがブレイクしているに違いないと、戦戦兢兢として大阪駅に降り立ったのだが、いくらか涼しかったせいか、ひも付きワンピの人は、下にTシャツやカットソーを着ていたり、上から何かボレロ風なものを羽織ってたりしていた。ミナミの方に行けば、もう少し派手だったのかもしれないが未確認である。

女の子怖い病の重篤な患者である私としては、あんまり街中でセクシーな格好をされると、目のやり場に困るどころではなく、自分の居所に困って逃げてしまいたくなるのである。だから、せめて、下にシャツを着るなり、上になにか羽織るなりしていただいた方がありがたいし、大胆さがチラリとのぞいている方が、「うりゃー」とばかりに出して全体的に大胆になるよりもセクシーだと思うのである。もっともこれは好みの問題である。

いかに、スリップドレスがセクシーであろうと、肩ひものかかっているところのその肩が日焼けあとでベロベロに皮めくれ状態になっているのでは「セクシーでもなんでもなかろう。」と思うのである。「衣装に気を使う前にお体にお気をつけあそばせ。」と注意したくもなるが、ナンパと勘違いされると困るので注意しない。

私的な感覚であるが、日焼けで脱皮した人間の女の子なんかよりも、アゲハの幼虫が黒いのから緑色になる時の脱皮や、サナギから羽化するのの方がはるかにセクシーであると思う。ただし、アゲハの場合はオスメスは問わない。はて?性別を問わないのならセクシーというのはちとおかしい。セクシーというのは性的な魅力にあふれている状態を言うはずである。まぁ生命力をなんでもかんでも性的なリビドーに置き換えるような似非心理学的立場に立てば、相手のオスメスは関係ない。

今年の水辺では、露出度を抑えたビキニが流行っていたそうだ。観察の基本は現場で現物を見ることなのだが、あいにく、そんな現場に行ったのでは、くだんの持病の発作で倒れそうになるので、海にもプ−ルにも行っていない。記事によると控えめなビキニは、露出気味の街着との境目がなくなってたそうだ。

「こっちの方がかわいいし、安心だから。」「やっぱり、涼しいし、楽だし、別に恥ずかしくないよ。」なんで、安心なんだか。なんで恥ずかしくないと強調するのか。(まぁ、おそらく取材者が「心配じゃない?」とか「恥ずかしくない?」という誘導質問をしたのに、その答えだけが掲載されているのだろうが)どこにも、セクシーさに繋がる意識のなさそうな記事である。いいかげんセクシー、セクシーと書きすぎて、この単語にもセクシーな意味がなくなってしまいそうだ。

これから涼しくなるので、いつまでも出してるわけにもいかんだろうから、その動向は多少興味深くもないでもないことはあるのである。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本『ヒゲのOL 藪内笹子』しりあがり寿(竹書房バンブーコミックス, 951円)真実の愛が見つかるまでヒゲを剃らないと決めたOLの情念の物語。
当時の世 たしか、少し前といっても何年も前ではないが、水着はワンピースが主だったし、腰にパレオなんか巻いちゃったりしてたし、街着もパンツルックの流行で男女の性差が少なくなんていう時評が雑誌や新聞に出ていたはずである。"ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。"(方丈記)
当時の私 上で紹介した本に「ジュリアナおやじ」という短編が収められている。ジュリアナのお立ち台クイーンの金太郎女に恋をした白鳥部長。金太郎女の正体は資料部のシシマチ君であった。恋の逃避行の末、さいはて郡の「熊とイザベラ」というディスコに行き着く二人。警察の手入れの際の衝撃で崩れ行く「熊とイザベラ」の中で白鳥部長の見たものは…不覚にも感動した。う〜ん、真実の愛は何処だ? それにしても、「ジュリアナのお立ち台」ってのに時代の流れを感じますな。

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