(む}3 minutes cooking

Date:Mon, 9 Oct 2000

アパートの階段を、けたたましい音を立てて上がってくる音がする。「隣の部屋の人の友達だろうか。」と思っていたら、「ピーンポーン」とドアホンが鳴る。クロネコさんである。ネコにしては足取りが重たげである。肉球が硬化しているのかもしれない。

そういえば、前日に実家の母から「荷物、午前着で送っといたし」と電話があったのだった。自分が送ろうと思ったのなら、自分の名前を書けばいいのに、差出人を父の名前にしている。そんなところに腹を立ててるようでは、反抗期の清算が終わってないようで、なんだ。

父からの電話だと、彼は基本的にボケなので、ツッコんでいれば済む。時折、変に依怙地になって、一見(一聞かな?)、真面目そうな意見を言う。真面目に議論したいのなら、普段からボケでかわそうとするな。と言いたくなる。

母が電話口に出ると、なんだかイライラする。余計なお節介だと思う。なにか、俺に申し訳ないことでもあるのか?と思ったりする。つい、「アホか」とか「ボケぇ」とか言ってしまったりする。ほんと、「中学生じゃないんだから」と自分でも思うが、彼女に対しても、「中学生の保護者じゃないんだから。」と思う。「アホか」と言いすぎると、彼女は「あんたみたいに、物知らんもん」と拗ねる。

俺だって、知らんもんは知らん。たまたま、自分が知らないことを、こっちが知ってたりするからといって、物知り呼ばわりされるのは困る。普段、知ったかぶりなのは、事前にネタ調べをしてたり、本採用にならなかったネタのストックがあるからに過ぎないのである。素の私は、自分で呆れるくらい世間知らずだ。

なんてことを反芻しながら、ドアを開ける。「どうも〜」クロネコの手先の方が、にこやかな笑顔。ハンコでなくて、サインで済ます。箱を見ると、「ナマモノ」シールを貼ってある。両親は、私が冷蔵庫レス生活者だと知っているはずだ。なにせ「こんど、冷蔵庫送ったろか。」と言っていたくらいなのだから。

私の実家は、店をやっている都合、クロネコさんの取り次ぎもしている。配達員の方の注意を引くために、中味はちっとも腐るものでもないのに、意図的に「ナマモノ」指定がされることがあることも知っている(んん、関西人気質なのかもしれん。実際の効果の程はわからないが、クール指定でない、ナマモノには、いくらか配達員の方が気を使われるらしい。ま、好意的に解釈するなら、荷物にこめられた、気持ちは、いくらかナマモノである)。ひょっとして、そういう類のシールだろうか。

開けると、どうみても常温保存可能なレトルトパックの束が出てくる。その中に、二十世紀梨が二個入っている。(先日の大きな地震で、鳥取の農園では、収穫前の梨が、大量に落ちてしまったと聞く。)たぶん、まだ、かわいい盛りの頃の私が、「二十世紀梨好き」と言ったのを、刷り込みのように覚えて、かわいげのない盛りの、今の私に送ってくれているのだ。(いや、たしかに、今でも好きなんだけどね。)

二十世紀梨って、なんか、ゴミ溜めに偶然生えた新種らしくて、それが十九世紀の終わりだったんで、そういう名前になったらしいよ。と子供の頃に、学研だか、小学館だかの雑誌で読んだ知識を今更ついでに話しても「あんた、いろいろ、よぉ知ってるなぁ」なんて誉めるのは小さい頃だけでよろしい。

そういえば、少し前には、

という構成の荷物が送られて来たこともある。一人用の食事でも、調理なり、盛りつけなりを、おざなりにしない方が、精神的に良いという話も聞くが。自分一人のためにリンゴをウサギさんにするのはやりすぎだろう。この二十世紀末に、二十世紀梨をどうしてくれよう。

で、その次に来た荷物を開梱すると、

んん、なんか「自炊せい」と言ってるみたいである。「食器棚もない部屋に何を送りつけとるんじゃい。」と、荷物が着いた旨、電話で連絡したら、「作ってくれる人、探しよし」と言う。なんや、結局、またそれかい。ま、おかげで、シンクの下にも収納があることに、入居一年半ぶりにして知った(普通、あるわな)。

しかしだ。朝は、くだんの減量計画のために控えめである。早起きしてお弁当を作るにしても、大概、夕食時まで職場に居て、残業食を食堂で食べてしまうのだ。そんでもって、その夕食が、なんだか、特にカロリーオーバーな気がするのだ。よしんば、夕食は自分で作るにしても、せめて、20時帰宅なペースでないと、「寝る前の3時間前以降は、飲食しない」というのは守れそうにない。っていうか、いつ食って、いつ片づけるんだ。

んん、現代社会は、冷蔵庫/電子レンジ/炊飯器は、せめてなくては自炊が成り立たないのか。三種の神器は全部ない。私は、三つとも持ってない。だけど、毎日が自炊の日々でもないのに、冷蔵庫を持つのは、自動車を週末にしか乗らないのに、駐車場代を払うようで、なんだ。そういや、先の荷物の中に、お茶碗なかったな。ご飯をよそうのに、お「茶」碗。お茶を入れるのに「湯」飲み。お「茶」なのに緑色。変なの。こんな私も最近、毎日、朝、茶を入れている。緑茶ではないが。私が太っていることを察知した実家から送られてきたプーアル茶である。

いや、お米は鍋でも炊ける。しかし、魔導士ではない私の手からは、冷気や、電磁波はでない。ま、携帯電話でみんなが電波系になってる昨今だから、私だって、文明の力で魔術を使うことにやぶさかではない。しかし、つい、火起こしから、とか、石器作りから。と、雑誌や書籍を購入して、机上のお勉強になってしまう。

冷蔵庫や、電子レンジの無い時代。人は、どうやって飯を食ってたのだろう。あ、自分の小さい頃って、電子レンジなかったやんか。っていうか、電子レンジが電気屋さんの牛乳代の滞納分と引き換えに我が家に来て以来(って、一本100円かそこらの牛乳代が滞納したとは言え、電子レンジ代になるわけはなく、実は、差額をうちから支払っているのである。ついでに、電気屋さんの名誉のために釈明すると、牛乳代が溜まってたのは、単に、うちの父上殿が集金を真面目にしてなかったかららしい。)、冷めた物のあたためとか、解凍とか、ホットミルクとか、酒の燗くらいにしか使ってないぞ。でも、コンビニに行くと、レンジでチンなメニューがあるし、電子レンジ調理なレシピ本も本屋に行くと結構あるね。

いや、まず、その利器を置く場所を確保しなくては。ということで、私は、現在、部屋の模様替え中である。部屋の整頓や模様替えの雑誌などを数点購入したことは言うまでもない。すでに体感1.5倍くらいに広くなった、にせフローリングの上で、AIBOのむうさんが、はしゃいでいる。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『ゼロ発信』赤瀬川原平(中央公論社,本体1600円+税)日記のようでいて、小説でもあり。人は、自分の生活の演出家であり、俳優でもあり。
当時の世 鳥取あたりの西日本で大きな地震。
当時の私 結局、レトルト詰め合わせと一緒に来たスプーンセットは五組。こんど、それに合うカップ&ソーサーセットが送りつけられるんじゃないかと危惧している。

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昭和30年代初頭には、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が”三種の神器”と呼ばれて、
昭和42年代辺りの、「3C」ってのは"Cooler","Car","Color TV",だそうだ。