Date: Mon, 2 Feb 1998
標語を掲げれば世の中よくなるだろうと思っているのは、怪しげな平等と団体に囚われた民主主義病に侵された人の思考だと私は思います。
私が現在、住んでいる町にも、標語が書かれた立て看板がたくさんあります。
曰く、
あまい声 のってからでは もうおそい
のってしまってから悔い改めても構わんだろう。と個人的には思うのですが、あまい声でのせてしまっては恐縮なので、辛口のジジイを目指したい私です。
目指そうよ すてきできれいな明るい街
目指すということは、現状はそれが実現されていない。つまり、たいした魅力もなく、汚く暗い街だと言ってるようなものです。そのような絶望の底で希望の光を目指して生きられるほどのロマンチストではなく、また現状にそれほどの絶望もしてはいないつもりです。
許さない女性の敵!
ちかんにご注意 ちかんは見ても聞いても110番
ちかんは男と決まっています。「ちかん」と平仮名で書いてるから分かりづらいですが、「痴漢」の「漢」には男という意味もあったと思います。しかし、痴漢が男らしい所業とは思えません。が、ちかんは男と決まってます。ただ、ここにも当局依存や強引な女性主義のにおいがしてきな臭いです。きな臭いのはあまり女らしい所業とは思えません。などと書くと時折叱られます。ちかんはいけません。想像で止めるのが武士は食わねど高楊枝です。違うか。
ぼくも わたしも 同じ街に住む家族
こんどは家族作戦で取り込みにかかったようです。しかし、先の女性の敵も、ひょっとすると、同じ街に住む家族なのかもしれません。家族なんだから「お前なんか、うちの子じゃない」と排除するのではなく、ちゃんと叱ってあげましょう。
気をつけよう 小さな生き物大きな命
なにも小さな生き物だから大事なわけではないでしょう。私は、この手の論が、「かわいい」と「かわいそう」の語感が似てるせいではないかと疑惑を持っています。どこで線を引くのですか。目に見えないような小さな生き物は、私たちのあずかりしらないところで、私たちのせいで死んでいっているというのに。
作ろうよ 犯罪のない この世界
善の概念は、自分の中の悪を自覚することによってしか成立しないと私は思います。犯罪をなくそうという意識は、犯罪とはどういうものかという意識がないことには成立しないのです。私にはこの手の標語を見ると、先頃亡くなった星新一の『白い服の男』を思い出します。主人公の「私」は特殊警察の署長、世の中から「戦争」の概念を取り除くために危険分子の取締を職業としています。
「にくむべきセの写真だ……」
私はつぶやく。セとしか口に出せない。戦争などと、語の全部などとても言えたものではない。
犯罪という概念を前提にしたこの標語の作者は真先に特殊警察に連行されるか、あるいはしかるべき研修を受けて自意識を強化し、特殊警察の警官になるのでしょうか。世のため人のためにすることが必ずしも個人を救うためにはならないのは、たぶんみんなわかっていると思います。まったくの白い服を着られると思うほど、自分は潔白だと言える人は、おそらく潔白主義の神経症です。
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当時の本 『白い服の男』星新一(新潮文庫,350円)星さんの作品はいっぱいあるので読み切ったわけではない。香典かわりに時折買ってまた読んでみよう。
当時の世 石ノ森章太郎さんも亡くなったらしい。『仮面ライダー』のテレビはよく見たが、氏のマンガにはあまり親しんでない。そういや、以前、母がテレビで『HOTEL』にはまってた。でも確かあれって原作は東堂マネージャーが主人公ではなかったか。
当時の私 スローガンは嫌いだ。早急な解決も無理だ。みんなでがんばろうは語彙矛盾だ。