Date: Sun, 7 Jun 1998
一般に、獣ではない人間は、服を着る。毛皮がないから毛物けものではないのだと誰かに聞いたが、本当かどうかはしらない。
寒いときは獣の毛皮を借りたりするが、それは冬の話。夏も近づいて暑くなると、服も邪魔で脱ぎ捨ててしまいたい欲求にかられる。銭湯とか、プ−ル、海水浴場などの特定の場所でない場合は、お巡りさんに叱られるかもしれないから脱がない。
いや、叱られるからやらないと言うんじゃ単なるイイ子ちゃんだ。でも、あんまり町の中では脱がない。ボソボソ呟くぼくは、学生の時に「裸の大将みたい」と言われたことがあるので、ま、キャラクター的には問題ないかもしれない。ただ、「ぼ、ぼくは、え、絵が、描けないんだな。」
今年も女の人の一部に、「まったく、はしたない。そんな下着みたいな格好で表に出るもんじゃありませんぜ」と言いたくなるファッションが流行っている。
「キャミって、安上がりだし、楽だし、涼しいし、いいよね」
「でもさぁ、肩ひもずり落ちてこない?」
「あ、あるよねぇ」
電車の中吊りの女性誌の広告を見ながら、そういう会話をする女の人、二人。
「不埒な」と思いつつも、「肩ひもがずり落ちるってことは、けっこう撫で肩の人なのだろうか」と確認したくなる。でも目が合うと嫌なので、耳をダンボにするにとどめる。
座席に座って落ちついて本を読もうとすると、正面にスリップドレスの人がいる。「誰かわしに、スリップとスリップドレスの違いを教えてくでぇ〜」と心の中で叫ぶ。そんなに女性性を全面に押し出されるのは、魅力的であると同時に性的嫌がらせセクハラだとぼくは思う。
こういう女性に対しては、
どういう態度を取ればいいのだろう。知り合いならいくらか突っ込みなり、コメントなりするのだが、赤の他人さまである。
「これでもかぁ」って感じで、足を組んでみたり、サンダルをプラプラさせてみたり。「ふん、おいらは読書に集中してんだもんね。あんたなんか out of 眼中だもんね。」と思いつつも、意識過剰のために、ぼくの首の折り曲げ角度は不自然にきつく下を向き、肩が凝る。
鼻がムズムズする。成長期には、寝てる時に骨が伸びる音がするなんていうが、もしや、いまのぼくは鼻の下が伸びかかっている音がしてるのではなかろうか。と心配になると同時に、本当に伸びるのかノギスを当てて確かめたい心持ちがする。
しかし、今のぼくは、過剰な首の折り曲げによって肩凝り状態で、その上に鼻をいじったりしたら、鼻腔部から出血(はなぢともいう)すること必至である。客観的推測によると、この状況での鼻血ブーはいかにも、興奮によるものという憶測を生むにちがいない。やむを得ず、本を閉じると共に目も閉じ瞑想に入る。
駅に着く。正面の敵はすでにどこぞ中途の駅で降りたらしい。硬直を解いてため息一つ。ぼくも、も少し、ええかっこしようかなと服屋さんに向かいかける。しかし、あんなペラペラな布のかたまりにお金を払うのが嫌な気がする。分裂気質も手伝って「着れたらええやんか」と年中ダサダサの同じ格好でも平気だ。
それでも時折、服を買う。その、おNew(死語か?)の服を着て歩いている時にぼくは、なんだか揚げ損なったフライかテンプラのように、身と衣がはがれている心持ちがする。服が歩いていて、ぼくはその中に囚われている気がする。
関西弁で、「その服、よ〜にお〜てるよ〜」と言えば、「よく似合ってるよ」の意味なのだが、こと自分に関しては「すごく臭っているよ」という風にしか聞こえない。
余談であるが、「かっこいい」というのは関西由来の言葉で、本当に褒めていることもあるが、いかにも関西的に「この、ええかっこしいが…」という揶揄の意味もあるのだそうだ。江戸っ子は「粋だ」とか「ようすがいい」というらしい。
---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『対岸の家事』南伸坊(日本経済新聞社, 1400円)課題として家事をしてみると案外、おもしろい。でも、毎日のお仕事としては大変だろう。今日ぼくは、部屋の掃除とボタン付けと、洗濯をやった。
当時の世 妻以外の卵子で体外受精
当時の私 ぼくと同じ寮に住んでる友人を訪ねてきたK君に偶然出会う。髪を束ねず、ノースリーブのシャツに、くたびれたジャ−ジ姿のぼくを見て曰く「うわ、じじむさ〜」 せめて、尻が擦り切れそうで、膝の抜けたジャージだけでも新調しようかしらと、ちょっと思った。(でも、まだ履けるしなぁ)