Date: Mon, 3 Feb 1997
駅の出口に、ひっそりと、白いポストが立っている。それには、
不健全図書追放にご協力ください。
とある。これを設置した人は「不健全図書を読むような人だって、健全な常識くらいは持ってるだろう。青少年を守り健全に育成しなくては。」という傲慢と偏見と欺瞞に固められた不健全な精神の持ち主なのではないかと勘ぐりたくなる。
健全なpenisは、不健全図書を見ればerectするように出来ているものである。器質的障碍でimpotenceである場合を除くとおそらくそうである。
従って、しばしばエロ雑誌やエロビデオで、「口では嫌だ嫌だと言うくせに、しっかり、あそこは濡らして発情してるじゃないか」な台詞は単なる思い込みである、意識と身体の応答は必ずしも一致しないのである。
ビデオを見てると、男優が「イクよ。イクよ。」あるいは、女優が「イク。イク。」と言いつつ、thrustの周期を早める。そして、何か慌てるように引き抜いて、腹上あるいは顔面に射精するパターンがよくある。はたして、あれで本当にイッてるのだろうかなんとなく疑問な私であった。
男の方は射精したんだからイッてんだろう。と思うのは早計である。私は彼岸先生の教えに従って、極力、抜かないのであるが、
先生 私はこれまで一貫して正しい勃起と正しい射精について話してきたのはおわかりだと思う。
−はい。あくまで自分の都合で射精すること。最低三日の禁欲を守り、精液をたんぱく質に還元してエネルギーを蓄えること。勃起しなくなったら、徹底的にマゾ的状態に自分置くこと。要約すればこんな具合だったと思います。
先生 まあいいでしょう。ともかく一番大事なことは自分の意志で、自分の頭で考えて、創造的に恋愛を実践することだ。恋愛とはあくまでも相手があって成立するものだ。そこには対話があり、駆け引きがあり、交換があり、理想や分析なければならない。恋愛はマスターベーションではないんだから、性のアマゾネスたちの罪悪とは、恋愛を貧しい射精に矮小化してしまうところにある。そんなのマスターベーションと何ら変わらんではないか。射精産業とそれを荷うセックス兵士たちは誤った勃起と誤った射精を青少年に強要しているんだ。
(『彼岸先生の寝室哲学』島田雅彦)
射精=イケてる、とすると、その男優はsexをしたのではなく、女優のvaginaを使ってmasturbationをしたに過ぎないのではないかという疑いがある。
Masturbationというのは、改めて述べるまでもないが、日本語で自慰、ドイツ語でいうところのonanieである。これは旧約聖書に出てきたオナンという人が性交を中途で止めて、膣外射精をしたのを、「貴重な子種をなんちゅうことすんねん。」と神様がお叱りになった故事に基づくものである。もっとも、神様が関西弁であったかは謎である。でも多分、旧約だからヘブライ語だろう。
で、問題のビデオの映像はまさに中絶性交である。だとするとあれはsexではないにしても、案外、正統派なonanieなのかもしれん。onanismに関する論考について最近見て面白かったものに、『てめこ道』村上たかし(雑誌『COMIC CUE 1997年号』江口寿史責任編集に掲載)がある、私と一字違いの名前だが、『ナマケモノが見てた』等で有名な作家さんである。
では、女の方はイッてるのであろうか。残念ながら、私の脳は男用に成長してるであろうし、性器も男用のがついてるので、女性の感覚が再現できるかは、謎である。でも、形態的、あるいは性格的差異がたまたま偏った2種類を男と女と便宜上言うのであって、基本的に人間としての構造に変わりはないと僕は考えている。よく知られた例としては、penisとclitorisは発生学的には同じ由来を持つというのがある。
一時、もしもあの状態がイケてる状態だとすると、それは、短い周期で激しく呼吸することによる過換気症による意識の変容をイッてると言ってるのであって、なんら性的な接触によるものではないのではないかと思った。そこで、女優さんの息づかいに合わせて呼吸してみてシンクロをはかろとしてみた。たしかに、軽いトリップ感が味わえる。ここにさらに、本来のsex のシチュエーションと気分をもってくると、いわゆるイッた状態を手に入れることができるのかもしれない。
射精を伴う性交は子作りの為にあるのである。そうでなく、ただ単に快楽のためにのみ行う性交においては、射精をしてはいけない。接して漏らさずと昔の人も言っている。コンドームの中でもだめである。安易な射精をする者はやがてオナンと同じく神の怒りにふれるだろう。
性的なコミュニケーションを発達させている霊長類の中には、発情期以外の性交ではthrustのみで射精はしないこともあると聞く。発情期の性交においては今度は誰ぞのマンガではないが三こすり半くらいのthrustで射精に至ると言う。時折、サルのセンズリなどという人がいるが、サルは千回もこすらないのである。おサルさんに失礼な。悔い改めよ。
sexがなければブッダもキリストも生まれてないだろうという話もある。宗教上の戒律でやってはいけないことになっていることもある。もっともあれは、修行という意思の力を身体に反映させようという行いであるから、それはそれで意味があるのである。でも女犯がいかんだけだろうと、屁理屈をこねて小僧さんを夜研ぎの道具にしていた坊さんもいたと聞く。キリスト教のごまかしは、マリアが処女懐胎して生まれた神の子イエスから始まるのである。
それのパロディとして、先に上げた『COMIC CUE 1997年号』に掲載されている『天使のフェラチオ』古屋兎丸がおもしろい。天使に特別な子を宿すお告げを受けた高校生のマリアは「バージンのまま妊娠なんてサイテーだし」と思ってブ男の湯田とセックスしようとする。神の子が宿る夕方までに処女じゃなくなれば資格がなくなって妊娠しなくてもよくなると思ったからである。ところが、いざ入れようとすると、空から天使が舞い降りて、物凄い速度で湯田のものをしゃぶりイカせてしまうのである。おもしろいのでお勧め。
今回はイクことについて、生物学あるいは宗教学の方面から探ってみた。本当は、言語学的な方面からの考察をメインにして、さらに、いま、成人指定で一般映画館で公開されている話題作『クラッシュ』をからめつつ論じるつもりであったが、前フリのつもりが勝手に盛り上がって、かなりの文量になってしまったのである。
まるで、前戯に夢中になって、本番前に疲れて眠ってしまうやつみたいだが、今回はここまで。