[*]Like a dachshund.

Date: Mon, 28 Apr 1997

ルーズソックスが健在なのは前々回くらいに述べたが、どうやら男の子の腰パンもまだ健在であるらしい。

高校生の女の子の服だけを論じたら片手落ちな気がするので、男の子の方も少しは言及した方が良かろうと思った。一部は前回の髪の毛の話でも述べてたりする。同性でもプラトニックならOKヨなつもりの私だが、概ねバイというよりはヘテロセクシャルであるので、どうしても両目の自動追尾装置は女の子の方を追うことが多い。

職場で女子社員のことを十把一からげに「女の子」と呼ぶ方がいらっしゃる。等しく男子社員のことを「男の子」と呼ぶ人はあまりいない。女子だけを「女の子」と呼ぶのは、一部のフェミニストな方は妙に気にされる時があるので用心して使った方が良い。

そんなことを気にするのなら二つ前の段落の片手落ちというのも、片手を失った方に失礼だとして言葉狩りの対象になる時があるので、注意を要する単語ではある。

お話が逸れかかっているのは、あまり真剣に論じるつもりがないからである。それにしても、あの腰パン。本人はカッコいいと思って履いてるんですかね? あのダックスフンド状態は…。極端な場合、いわゆるズボンの股が本人の膝関節に来てたりするものな。

まだ、歩いてる時はマシだけど、立ち止まったり、ましてや座ったり、さらに自転車こいだりしたら、超カッコワルイから止めた方がいいよ、と言いたくなる。もっとも、あのズボンで座ったら足を広げられないから、少しはお行儀よくなるのかもしれない。ノーマルな丈のズボンの男の子は結構大股開きで電車の座席などでも座っている。

あれを不作法だとか礼儀知らずだと糾弾する向きもあるかもしれないが、ぼくが好んで読むところの養老孟司の説によると、彼らは大きく育った体の裁き方の型を身につけずに成長してしまったために、その体を持て余しているのだそうだ。もちろん、口でも「かったり〜」と言ってるから意識上でも緊張感が足りないのだろうが、身体操作のレベルで彼らにはすでに回路が足りないのである。

美しいものには必ず適度な緊張があるような気がする。だから、せっかくハイヒールを履いているのに膝の伸びきる瞬間のない歩き方をする女の人を見ると残念な気がしてならない。そんな歩き方をするくらいなら、低めのパンプスかスニーカーを履いて颯爽と歩いてください、とお願いしたくなる。

腰パンの男の子はズボンがずれてパンツが見えちゃうから、見せても良い用のパンツを履いた上で、さすがにあまりにずり下がるのはカッコワリイので、片手を後ろに回してズボンを支えている。もう一方の手は彼女と仲良く繋いでいて、彼女は、スカートがあんまり短いから、見せても良い用のパンツを履いているけど、あまりに見えたんじゃパンチラならぬパンモロになってしまって超カッコワルイので彼氏と繋いでいない方の手を後ろに回してスカートの裾を押さえている。

男の子も女の子も、非常に動きづらい服装で自分を拘束している。あいている片手も、互いの手を結ぶのに使ってしまって、塞がれている。二人の距離が少し離れている時は、やはり二人の間をつなぎ止めるケータイを持つために塞がれる。自分と他人を拘束しあって、ひょっとするとSMチックな感覚なのかもしんないね。

絆は二人を結ぶ「きずな」であると同時に、二人を縛る「ほだし」でもあると、たしか、『やさしさの精神病理』大平健(岩波新書)で読んだ記憶がある。

彼女は「彼氏の彼女」、彼氏は「彼女の彼氏」という肩書。二人の服はかなり変形こそしているが、制服の域を脱したわけでなく「高校生」という肩書を失っているわけではない。日本社会は肩書&制服の社会なのである。

すぐにムカツクという言葉を吐く彼らは内臓が弱いのであろうか。胃薬を常備しておかなければなるまい。そういえば、女子高生文化を論じる上ではマツモトキヨシは避けて通れないらしい。胃薬くらい買ってあるだろう。

胃潰瘍になるのはもう少し歳をとってからでもいいと思うけどね。いちいちムカツイてないでさ。もう少し脳味噌のリミッターを高めに設定してね。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『心筋梗塞の前後』水上勉(文春文庫)水上さんは病院のコンピュータのデータミスでムラカミさんにならなくては薬を貰えなかったそうだ。
当時の世 ペルー日本大使館武力突入、人質救出
当時の私 年次休暇はどうでも良いから、土日の休みは守りたい。

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