UnfortunatelyDate: Mon, 09 Jul 2001
最近、急に、近所のコンビニで、お釣りをくれる時に、「お先に細かい方から、、、」と、くるようになった。以前は「大きい方から」だったはずだ。接客マニュアルの改訂でもあったのだろうか。「細かいの反対は荒いだろうか。大きいの反対は小さいだろうか。でも高額紙幣の方が細かく管理しないとまずいんじゃなかろうか。」などと思ってるうちに「レシートのお返しになります」なんて言われて、「レシートは何も預けてるものでなし、返されるものではないぞ。」なんて思いつつ、返されてしまうのであった。 帰り道の道すがら思う。私は普段、札入れと小銭入れを別に持っている。小銭入れはズボンのポケットに入っているが、札入れは鞄のボケットに入っている。札入れの中にキャッシュカードは入っているが、口座の中にお金があっても、札入れの中はレシ−トしか入ってなかったりする。 お釣りが、お札と小銭に混じると、たしかに、しまう場所がバラバラになるので、わずらわしい。ついでに貰うレシ−トはどっちかいうと札(ふだ)なので、札入れの方が納まりがよい。だとすると、あとで紙幣と一緒にレシ−トもらう方が理にかなってる気もする。もっともレジ横に「不要レシ−ト入れ」なる箱が置かれてたりするし、私の理に適ったといって、世間一般の人々にとって理に適ってるかと言われると、はなはだ謎で、変な人と最大公約数を取ると相手が素数な人だと厄介なわけで。 しかし、「千円、二千円、三千円、四千円」って4枚くらいだったら、あんたが不思議な手品師でなければ、見てたらわかるって、おまけに、ご丁寧に「ご確認ください」って言わんでもいい。そんなことだからレジのスループットが落ちて、隣のレジを開いて「二番目でお待ちのお客様どうぞ」なんて言われるのだ。ああ、確かに俺は今、二番目だが、一番の人は、もうじきに終わるぞ。三番目の方、あっちのレジに行ってくれ。ぶっきらぼうに「あちら、どうぞ」と店員でもないのに、ぼくの後ろの三番目の人に、向こうのレジを勧める羽目になる。 そろそろ一年くらいになるのだけど、未だに新貨幣対応は徹底されていない。ゼネコン関係だと、景気対策とかでどこぞの国道を掘り返したりしてるのかもしれないが、自動販売機は国営ではないからか、なかなか対応が計られない。旧国鉄JRの券売機でも少なくとも私の身近では、未だ新五百円玉&二千円札対応出来てるのは一部である。 煙草業界だと消費者の要求が強いのだろうか。「新旧500円両方使えます」なんて表示がある。おい、新500円硬貨は、旧500円のニセ物対策だったのではないのか。判別装置の精度を上げるだけで対応出来るのならば、新500円玉の意味がないではないか。でも、なんか、少し金色がかった500円を見ると、まだ見慣れてないからか、得した気分になるのであった。金なら一枚、銀なら五枚必要なのだ。(いや、そんな、五倍の価値だったら2500円玉になってしまうのだが) 大きい方と言えば、実は五千円の新渡戸君だって、私の財布に来訪するのは、まれだ。たいがい、福沢君と夏目君でカタがつくのである。たまに新渡戸君が来ると、「どう?元気?」と言いそうになる。だいたい、「千円、二千円」なんて数えるお店じゃ新渡戸君も紫式部さんも出番がないではないか。 二千円札に至っては、発行以来、私は二回しかお目にかかっていない。で、いざ来たら、ろくに自動販売機で使えないので、コンビニで使ってしまった。「二千円お預かりしま〜す」と言われるのが一枚で済むのは、まぁ良し。 こないだ、どこぞで一万円の偽札事件があったとかで、「チェックさせていただきます」などという貼り紙がレジの横に貼られているお店があった。「一万円入りま〜す」という声と共に、まさに店員さんと共に、諭吉君はお店の奥に入ってしまった。も、もしや、チェックされてるのか。俺はニセ札使いとして疑われているのか。そして、「ご確認ください。千、二千、三千、四千、五千、六千、七千、八千、九千。お先に、大きいほう九千円お返しになりま〜す」にこやかに言われても、私は疑われているのだ。 わだかまる私は、アルコ−ルの補充に出掛けた。Face to faceの苦手な私はコンビニに行かず、自販機に向かった。虚しい貼り紙がしてある。「500円玉新旧ともに使用できません」やむを得ず、千円札を投入する。すると、商品と一緒にお釣りが出てくる。500円玉受け入れ拒否のくせに、おつりに500円玉が混じっている。「これじゃ、もう一本買えないじゃないか」ぼくはトボトボと家路に着いた。
---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------ |