(む}Sublease?

Date: Mon,12 Mar 2001
「また貸しの「また」は、漢字で書くと、どうですか?」

と唐突に、T野さんに問われる。「またまたそんなこと、いきなり聞いて、もう。」と危うくつまらぬ駄洒落を言うところであった。「そんなもの、分からなければ、平仮名で書けばよろし。」と言ったがどうも引き下がらない。

猫の好物であるマタタビではなくて、諸国を渡り歩くマタタビは「股旅」だ。股にかけて歩くのだから、ま、よろしかろう。ちなみに、ネコの好物の方は「木天蓼」と書くらしいが、これをどう読めば、マタタビになるのか謎だ。

ネコと言えば二子玉川にあるネコのテーマパークは「ねこたま」である。犬の「いぬたま」と、フェレットの「たまいたち」と併設だそうだ。どうも駄洒落が好きらしい。

にこたまのねこたまのねこのたまのまたにはたまたまにこたまたまがある。

なんだか、庭の鶏のようである。ちゃんと去勢しないと、さかりがつくとフギャーと鳴くかもしれない。それにしても、なぜにネコはタマなんだ。玉のように丸まって眠ってるからだろうか。漱石さんちの、名前のない猫は、ご主人に「ねこ」と呼ばれていたそうだ。

それはさておき、「また貸し」だ。人間関係が絡んできそうなので、どうしても「ふたまた」を連想してしまいそうだ。ふたまたソケットは、幸之助さんが作ったのであったか?さて、辞書を引くと、「二股・二叉」とある。果してどうなのだ。

もちろん、人体で最大の叉は、いうまでもなく足と足の間の股で、小さいのなら、手の指の叉がある。そう二股の股は一つなのだ。これは古来、ヤマタノオロチ問題として有名である。よく分からないと言う人のために、数を少なくしよう。キングギドラだ。奴は首が三つある。ちなみに尻尾は二本ある。首が三つだから、首と首の間の叉は二つである。ヤマタノオロチは実はナナマタなのではないか?ヤマタノオロチの首は円環状に配置されているとすれば、納得がいかなくもない。ここで悩む人は算数の時間に植木算をやるときにパニック障害を起こす危険がある。

なお、実は、単に国語の問題であって、「先が二つ」だから二叉なのだ。みなさん足の間の股に気を取られすぎである。(誰も囚われてはいない)囚われついでに、考察すると、「叉」は、「又」の中に「、」を入れただけではないか。何が違うのだ。またの「、」は何なのだ。ひどく気になるではないか(なにか妄想しているらしい)。

おもむろに人体解剖図鑑を開いて鼠蹊部の項目を開いても、謎は解決されない。当然である。こういう場合は、漢和辞典を引くのがよろしい。それによると、「又」は「手」を表し、それが交差している様子から「叉」となったと言う。つまり「、」は交差しているもう一方の手の指が見えている形なのだ。

雑念を払いきれていないのか。では「またぎき」は、どうなのだ。いくらなんでも「股聞き」ではなかろう。いや、股に鼻があるよりはマシかもしれんが、小耳にはさむよりもさらに難易度が高そうだ。小耳ってどこだ。小鼻はまだ所在が明らかだが、小脇や小腹や小首とならんで謎だ。昆虫の中には足の股に聴覚器があるやつも居ると聞くが関係なかろう。

さて、そろそろ、お分かりであろうか。「二股かける」のは、Aさんが、BさんとCさん両方に気をやる様子。B←A→C である。「先が二つ」だから。では、「また貸し」の人間関係はどうなのか。AさんはBさんから借りた物品を、持ち主のBさんの許諾もなしに、Cさんに貸すのである。B→A→C である。「反復、重複あるいは、間接」だからである。だから「又貸し」。

学而時習之 不亦説乎
「マナンデトキニコレヲナラフ、マタヨロコバシカラズヤ」

この「亦」は未だかつて、漢文の時間以外に使ったことがないが、、、いや、漢字を習い始めの頃に「赤」を書こうとして発明したかもしれない。「赤、よろこばしからずや。」赤が好きでないことがあろうか。きっと熱烈な赤好きな人なのだ。学んで赤ではいただけないが。

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当時の本 『東京大学物語 34 永遠の青春』江川達也とそのアシスタンツ(ビッグスピリッツコミックス,505円+税)長きに渡る大妄想もついに、完結を見た。作者は以前、雑誌のインタビューで「お母さんから、子供が出てくるところをマンガで描きたい」と言っていた。それにしても、精子と卵子と胎児の絵とふきだしが10Oページ近くつづくのは、大胆な試みというか、今だからできたのかも。なお、私も村上くんである。東大ではないが、妄想癖はあるらしい。
当時の世 いい天気が必ずしも良いとは限らない。
当時の私 花粉症では喉やおなかは痛くならんだろう。つまり、風邪だ。デジカメ故障するし、泣きっ面に蜂。