(む}A salaried man

Date: Mon, 29 Oct 2001

さて、どうやら、10月度は月中無休で皆勤賞な勢いなMucci Texiです。もっとも、フル出場だと主張しても、どこからも賞与も、副賞も出てきません。

というわけで、裁量労働制の私です。タイムカードからは、解放ってか、カードを通しても意味がない。事実上(って、実はヴァーチャルって言葉は、「事実上」とか「見かけ上」って意味なんだよね。)労働時間で管理されないのであります。

それにしても困るよね。残業しても残業手当て付かないし、休日出勤しても、休出手当て出ないんだよね(休出の代休は取れるらしい)。って、不満を漏らすなら、裁量労働制の解除を申し込めばいいんだけど。だって、半年以上の日程で仕事してるのに、半年ごとに成果を評価するなんて変なの、と思う。過程も評価対象ですと言われても、じゃ、この半年より向こうでなにか製品に問題があったら、遡って前の半年の評価が下がって、罰金になるの?、どう評価するの?と思う。出せば終わりってわけじゃない。ま、承認者は管理職なり、会社のえらい人なんだろうから、その方々が罰金払うのかなぁ。稟議が通ってしまえば、個別の担当者の責任はないのが会社の仕組みのはずだ。

あれ?皆勤賞って無遅刻無欠勤だっけ。裁量労働制の私は、私の裁量権を体に委ねている。そのため、体が起きるまで寝てるので、いわゆる定時出社はしていない。残念ながら、遅刻を意図しても体が起きるので、多少遅い出社程度である。社内の規定によると、事前に、翌日、何時出社かは明確にしなけりゃいかんらしい。あら、だとすると、規定違反だね。わし。

夏休みを4日とることに決まってて、3日しか取ってなかったから1日余ってたのね。止むを得ず出勤となった場合は休日出勤扱いになりますって通知されたけど、裁量労働制なので、休日は関係ないのね。なんてこと言ったら、今月、もう事実上、8日分くらいただ働きじゃん。なんて発想は時給意識の残像現象か。ま、残業代は出ないけど、月にいくらかは手当てが出てるわけで、均せばこんなものかなぁ。とも思う。

でも、パートタイムでなくて、フルタイム。いや、オーバーフローした働きをしてるような気がするのね。いわゆる「割、合わないじゃん」とか「あっぷあっぷ」「いっぱいいっぱい」みたいな。文句を言う間はまだ余裕があるだろうという説もあるのだが。割るには、分子と分母が必要で、それは、個別に割り振れやしないってのは、想像がつくのだけれど、、、時給制じゃないんだから、そういう意識をかえなきゃね。と言われても、多少ごまかされてる気がする。時は金なりではないのである。お金は誰かのところに集まったり、物と交換してもらえないと、ただの紙切れである。時間は、だれにでも平等に流れる。理不尽なくらい平等に。でも、自分の人生の長さは、誰もがバラバラで不平等である。

法人って、個人じゃないからサシで話ができないものね。プロスポーツ選手みたいに、年俸の契約更改みたいなお話ないものな。だからか、束になって労働組合ってのがあるのは。

さて、資本主義なので需要と供給のバランスを考えてみましょう。私の日々の生活には、当座のお金は足りてるらしく、意図的に貯蓄しようとしてるわけではありませんが、銀行の給与口座の貯金は漸増しています。(貯金は郵便局、預金は銀行などと細かいことはおいときます)ということは、自分の財布のお金の出入りを考えると、どうやら、働きすぎてるか、働きの割りに不当に高い給料をもらっている(そうか?)可能性があるわけです。

お、ここで解釈の問題が出てきます。「過ぎてる」とか「不当に高い」を判断するためには、明確で公平な判断基準が必要になるわけです。ところがみなさんお分かりのように、人はそれぞれ違うものだから、一様に平等にすることは、公平にはならないのは明白で、どこかに綻びなり、しわ寄せなりがくるのは、可能性の大小でなくて、当たり前なのであります。でもって、その解釈の違いの差で利ざやを稼げてしまうのが資本主義なのであります。(パチンコの玉の換金率だって、外貨の両替の為替レートと似たようなもんでしょう。為って漢字さぁ、なんで人がついたら偽になるんだろうなぁ。字面が悪いや。)小さい子が時折「先生、えこひいきしてる」などと言いますが、真に平等であるためには、個別にえこひいきしつつ、かつ、評価者は客観的評価をしなければならないのです。

心理学的には、ある程度の負荷のある仕事に対して、報酬の高い群と、低い群にわけて仕事をさせると、報酬の低い方のみなさんの方が「やりがい」を感じてやる傾向が高いそうです。お金が足りないと、頭の補償回路が働いて心をフォローする仕掛けでもあるのでしょうか。無論、報酬の額が大きくなると、それがモチベーションになるケースだってあるだろうし、所詮、実験君ですから、せっかく「やりがい」を持って仕事をしている報酬の安い群の人々が、同じ仕事で高い給料をもらってる人々がいることを知ると、そんな「やりがい」は、あっさり吹っ飛んでしまうことでしょう。

しばしば、「所詮、サラリーマンだからねえ。」などと、ぼやく方いますが、このヘナチョコ和製英語?のサラリーは給料、そもそもは、塩のソルトと語源が等しいと聞いたことがあります。昔は、塩が貨幣の代わりだったのだそうです。ほんとに?こんなに海に囲まれた地球で、自分の汗は塩の味がするというのに。。。。血は鉄の味がするね。鉄食ったことないけど。指示に従うのがサラリーマンなのでなくて、仕事に対して見合う対価を貰うのがサラリーマンであるはずです。

しばしば、「所詮、組織の歯車だからねぇ。」などと、ぼやく方いますが、歯車というのは、ちゃんと精度を出して規格品にしてるから、装置はちゃんと動くのだし、故障した時に交換が効くのです。そんなぼやき方をする人は、歯がかけちゃったと評価されても仕方ないでしょう。でも、実際の仕事の中には、規格品でなくて、特注品な歯車な人がいて、交換不可能だったりして困るのよね。

じゃぁ、なんで、ぼくは、「どうも割りが合わん気がするなぁ」「普段の生活費には別段困ってないしなぁ。」「賞与って、あんまり賞って気がしないなぁ。」「ボーナス払いのローンがあるわけでもないしなぁ。」などと思いながら仕事してるのでしょうか。もしやワーカホリックのマゾヒストで、「つらいよぉ」「しんどいよぉ」言いながら仕事することになんらかの快感を感じてるのでしょうか。

鼻先にニンジンをつるされた馬というほど、目先に特別賞与がぶら下がっているわけでもなし。目先に少しがんばれば登れそうな低めの山。登山家の方が「そこに山があるから登るんだ。」と言うならば、さしづめ、「そこに仕事があるから働くんだ。」なのかもしれません。でも遭難するような山はやだなぁ。遠足レベルでお願いします。

しかし、「この不景気なのに、ちゃんと仕事があって給料もらえるんだから御の字だよぉ」と言われても、いや本当に職がない人には申し訳ないのだけど、説得力のない慰めの言葉だなぁ。と思う。

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当時の本 『青木雄二のゼニと世直し』青木雄二(青春文庫,486円+税)いや、別に共産主義に共感したりはしないけどね。つまり、未だ真の共産主義に移行しない資本主義の段階なので、自分のお金は自分で守れ、他人があざとい儲け方してるのに騙されず告発せいと言っているみたいだ。『ナニワ金融道』のおっちゃんの講釈。
当時の世 野球の日本シリーズだか、ワールドシリーズだかやってたみたい。
当時の私 日曜日にお仕事してたら、事務所から虹が見えた。幻覚じゃないよ。でも、虹って幻想的だよなぁ。

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読者の方から、「公平」と「平等」違いの質問を頂きました。
あくまで私見ですが、「公平」というのは万人にえこひいきすることです。人はみんな違うのだから。
「平等」は、「誰もが一緒」ということです。
と、私は決めてます。