(む}My bowling

Date: Wed, 21 Mar 2001

私が幼かった頃、私の傍らには、父のマイボールが転がっていた。当時はボウリングのブームだったらしい。須田開代子さんや、中山律子さんが活躍してた頃だろうか。配達の時、助手席にマイボールの入ったバッグを乗せて走っていたそうだ。おおよそ今の私くらいの年齢の頃である。その後、父のブームはボウリング場のある建物の1階にあったパチンコ屋に移行したのであるが、昔取った杵柄ってやつか、ボウリングに関してはいくらか薀蓄垂男くんである。

今でこそ、バンパーレーン(サイドの溝をふさぐガードレールみたいなのがあるレーン)とかいうのがあって、球筋があまり真っ直ぐでない方(主にお子様用)でも、ガターになるのを回避して、ピンが倒れる結果を得ることができる。手から離れたボールが、ドテッと、あっという間に溝に落ちて、ゴロゴロと転がっていくのはさみしいものである。

小学生の頃だったろうか、当時のアメリカ大統領はカーターさん(1977-81)だったので、溝掃除専門の人のことをガーター大統領と呼んでた記憶がある。あんまり名誉なことではない。なお、靴下止めはgarter、レーンの両脇の溝はgutter。ガタっと落ちるからという駄洒落ではないようである。

球を転がすのだからBallingかなぁ、と思っていたらBowlingである。確かに、カタカナ英語でもボウリングとwの音が入っているようだ。辞書を引くと「遊戯用の硬質な球、偏重のボウル」とある。そう、ボウリングの球が曲がるのは、偏重心だからである。

地質調査のボーリングはどうなのだ。どうみても球はないし、なんかでかい杭をガンガン打ってるようにも見える。グリグリと掘り進んでいる。あれは「穴をあける」のBoreのBoringらしい。

なお、私が会社で受けた英語研修で、ネイティヴの先生から学んだのはBoring。これもBoreのingだけど、別に穴を掘ったわけでなく、「つまらない」とか「うんざり」とかいう意味のようだ。

アメフトの試合なんかを「〜ボウル」というが、あれはBowl。競技場の形がボウル、つまりお椀というか丼鉢というか、そんな形をしているからだ。どうみてもアメフトのボールは球というより、アーモンドである。

さて、今回は別にカタカナ英語講座の時間ではない。

最近、やっと、スパット(あのレーンの途中にある三角印)を見て投げるようになった。ピンを見ようにも、近視なのに眼鏡もコンタクトもしないから見えないからという説もある。

前につんのめらないよう、上にのびないよう、体を安定させて、自然に振り抜かなければならない。以前は力で投げてたからか腕が痛くなったのだけど、この頃だいぶ抜けてきた。親指の抜けも大事なんだけど、そっちはどうもまだまだらしく、指の爪がかけたり、内出血してたりする。抜きを意識しすぎると、それはそれでボールがドタっと落ちる感じになってしまう。

私は右投げなので、左手は横にだしてバランスをとり、左足はつっかえないように、曲げてすべらし、右足もつっぱらないよう左側に流す。重要な右手は、手首を変にこじって使わないようにする。そして、狙いのスパットに置くというより、通すという感じで投げるとよいようだ。

休みの日の早い時間に行くと、なにやら同好の人達の定例会のようなのだろうか、あの、ボウリング選手のシャツとスラックス、女子選手の方はなんでかタイトミニ、当然、マイシューズ、マイボールで、手首に籠手というか、プロテクタというか、例のやつをしている団体さんに出会う。

かつてのブームから連綿と受け継がれているのであろうか。投球後のボディアクションもバリバリである。隣のレーンに私のようなものが来ても、「よろしくお願いします」と挨拶をされてしまうし、ストライク取ったら、拍手されてしまう。なんだろう山歩きなハイキングで出会った人々が、「こんにちは」と陽気に挨拶するようなものだろうか。

かと思うと、隣のレーンが傍若無人な中学生お友達グループだったりして、「おいおい、隣の人がアプローチに入ったら、自分の投球は少し待つのがマナーだぞ。」と説教しそうになる(でもしない)。仲間のストライクを褒めるのはいいが、奇声を張り上げてドンチャン騒ぎをするのはいかがなものか。と思う(と思うだけで注意しない私)。

と思いきや、隣はラブラブなカップル。おもむろに立ち上がった彼女は、のん気にボール磨きから始める。アプローチに立った彼女の腰に手をやって、「ここに立って」「あそこの矢印狙って」と懇切丁寧に解説を始める彼氏。意に反して、曲がっていくボール「んんも〜ヤだ〜」ヤだではない。帰ってきた彼女の頭をよしよしと撫でる彼氏。あ、今度はうまく狙い通り。抱き合って見つめ合い、うなづく二人。

その隣で黙々と投げる私。観察ばかりしていては集中力が削がれる。負けるものか(誰も勝負はしてない)。軽く息を吐いて、アプローチに立つ。振り抜く。汗が飛び散る。隣のレーンの二人に「横の一人ボウリングの奴、汗くさいよな」なんて思われてるんじゃないか。と妄想する。

パタリと隣のレーンの二人が投げるのを止めて、ベンチに座ってご歓談モードに入る。時折、彼氏の顔が曇る。なにか深刻なお話なんだろうか。ガーンとピンが弾け飛ぶ喧騒で、話の内容は聞こえない。いや、聞き耳立ててる場合ではない。私は目の前に残った10番ピンを倒さねばならん。隣が投げないものだから、こちらの投げるピッチが上がる。

「つまんないから、帰るか」と立ち上がる彼氏。なにか心の行き違いがあったのだろうか。「ああ、おもしろかったね」と彼女、「どうしたの?そんな顔して?わかったわかった、このあとビリヤード行こ。」と彼女。たぶん、そこでまたしてもコーチ気取りの彼氏のご機嫌は直るのだろうか。

そして、私は黙々と投げ、ストライクに小さなガッツポーズをするのだ。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『孤独な散歩者の夢想』ルソー著、佐々木康之訳(白水社,1000円+税)ルソーさんほど深みには、はまってないと思うけど、歩いていると、プカプカといろんな想念が浮かぶ。
当時の世 口蹄疫が世界で流行ってるらしい。
当時の私 20日は、なんでか20時間も寝ていた。なにをくたびれてんだ俺。