Life insuranceDate: Mon, 9 Apr 2001
と、いうわけで、もう新年度も明けて、新入生は入学して、新入社員は入社して、桜は散って。私は春の病に悩まされてたわけで。ま、風邪と併発した時を除けば、今年は花粉症は耐えられる範囲内って感じでした。 3月の終わりには、保険屋の外交員さんが、「4月になったら、値上がりする」攻撃をしかけて来てた。「それは、おたくの都合だろう」と、ツッコミたい欲求を抑えつつ、「はぁ、なるほど」と聞いていると、「真剣に聞いてないでしょう」と叱られる始末。 いや、何、私は、真剣に検討した結果。今は取り合えず、必要ない。と、考えているわけで、普段から、「その気になったら、こっちから声かけますよ。」と言っているのは、その場凌ぎの逃げ台詞でなしに、本心なわけであります。ま、保険の運用からすると、とりあえず必要なくても、とりあえず払っとけ、ってのが正解かもしれないのだけどね。万が一の時のために、なんでもない平和な時代に余分のお金を預けとくみたいなもんだろう。 なのに、「そう言いながら、もう声をかけてくれないんじゃないですか。」なんて言われてしまうと、内心「そういう発想をする方は、あんまり好きではないので、真っ先に候補からはずさせていただきます」と思いつつ、「ああ、この人は何か、裏切られた経験が、豊富なのかなぁ。」なんて思ったりする。裏切られて辛いなら、期待しなけりゃいいのに。なんて思うのは、ひね過ぎ? もう春も来たからいいかな。受験なんかで「すべり止め」っていう表現ありますな。いわゆる「自分の志望より1ランク下で、かなりの確率で、合格間違いないと思われるとこで、希望のところを落ちた時の受け皿」っての。「すべり」を「止める」なら、第一志望落ちないって。それって「すべり受け」だよ。たぶん。体操のタンマとか、野球のロジンみたいに現場で効かないとね。 ちなみに、タンマは、タイムとか休憩ではなくて、炭酸マグネシウム。ロジンは魯迅でも老人でもなくて、なにやら松脂が材料らしい。 話を戻そう。保険だ。バックアップ。私は比較的健康だ。社会人になって以来、一度も健康保険証を使っていない。毎月天引きされる健康保険料がもったいなくて仕方がない。こないだ、歯のつめものが取れちゃったので、歯医者くらいは行くかなぁ。なんて思っている。 生命保険のプランを見せてもらう度に思う。なんだか、毎月、将来の病人の私の身代金を払うのは嫌だなぁ、と。比較的健康な私の体にかけて、もしも、どうしようもない大病に掛かって、それが、一生に数えられるくらいなら、保険はいらないのじゃないか。ぼくは、保険屋さんへの言い訳によく、「まだ、幼い子供がいて、嫁さんが専業主婦で、とくに助けてくれる友達もいなくて、、、そういう状況なら考えないでもないけど」なんて言ったりする。 私には、幼い子供もいないし、専業主婦の嫁さんもいないし、友達はいないし(あ、最後は逆の条件か)、っていうか、俺が死んだとして、その死亡保険金が払われたとして、俺はそれの代わりか?って、思う。大病患って、その治療費が膨大にかかっちゃったりして、治るか治らんか知らんが、それは俺か?と思う。 罰金は、払った人が心底こたえるくらいであるべきだと思う。保釈金は、拘留されない人が払うのがしんどいくらいの額であるべきだと思う(訂正:まだ刑が確定してないのだから、そんなに重くなくてもいいか。ん、でも無実ならあとで、その費用の賠償請求できるのか?)。でも、保険金が、その人の代わりになるか?と言うと謎だ(結局、周りの人の思いの重さなんだと思う)。 保険に興味を示さない私に、しきりと個人年金の話をしてくれるが、果して、おたくの保険会社は私が老人になるまで、元気で頑張ってくれるのか?つうか、おたくの会社は、俺が長生きすることを保障できるのか?まぁ明日の朝は、たぶん、ぼくは生きてると思うけど。年金もらえるまで生きてる自信ないぞ。そんなことを思う。 仕事をしていて、「この案がこけた時の、代替の案も保険で考えといて」みたいな話になると、「あぁ、転ぶのは前提なのだなぁ。」とさみしくなる。いや、転ばない人はいないと思う。でも、転んでも、瀕死の重症になるのでなければ、転んで怪我して痛い痛いっていうのもいいかなぁ。なんて痛い目にあってないからか思う。 ---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------ |