(む}How do I do?

Date: Mon, 6 Aug 2001

みなさん。コニャニャチハ((c)赤塚不二夫)。ああ、バカボンパパって、バカボンが生まれる前は、なんて名前だったんですかね。ママさんには、パパって呼ばれてるみたいだから、前からパパだったのかも知らん。世のDINKSのカップルの方々はお互いに名前で呼ぶのだろうか、それとも「あなた」とか「ちょっとちょっと」とか「ねぇねぇ」とか「あのさぁ」で呼ぶのだろうか。ってDINKSに限ったことじゃないな。ちなみにうちの両親は私が居たせいか、私が物心ついたころには、たがいに「おとうさん」「おかあさん」と、呼び合ってました。子供に「パパ」「ママ」とは呼ばせたくなかったそうです。あ、父は時折、母を名前で読んでたな。

みなさん。ほぼにちわ((c)糸井重里)。改めまして、今回、ちょっとネタがうまくまとまらないMucci Texiこと、俺時々僕ところにより私であります。

そういえば、小学生の頃の文集で、「ああ、書くことがない」で400字詰め原稿用紙を無理矢理埋めてる人が、まぁ、クラスに1人くらいはいた記憶がありますが、今思うと、400字ってスグやん。ヘタしたら、もう、400字くらい書いてない?ってか、ちょっとネタがうまくまとまらないので小ネタアラカルトっていうか日記風で(って、いつもそうやん)、行かしてもらいます。


電車に乗ったら、案外空いてたので、空き席に座ることにチャレンジする私でありました。満員電車が苦手なのは勿論なんですが、いざ、座席についたとしても、なんだか窮々になるのが、苦手な私です。だけども、ちょっと本を余計に購入してデイパックは重いし、思い切って座ることにしたのです。ところが、あろうことか、発車間際に、私の隣の空き席に、夏のお嬢さんが、ノースリーブにローライズで、腕も腰もあらわなままに、座ろうとするではないですか。で、ギロリとこちらを一睨みして、私に接しないように浅く腰掛けるではないですか。ひょっとすると、発車間際まで、私の隣が空いていたのは、私が暑苦しかったからかも、しれません。あぁ、生きてて御免なさい。

昼飯を食おうと吉野屋に赴く。しかし、昨今の価格破壊の影響か、立ち待ちの客が数名見受けられる。こりゃいかんと退散する。袖触れ合うも多少の縁などというよく分からん諺もあるが、電車で袖触れ合うのに懲りた私は(もっとも相手には袖がなかったが)ほうほうの体でお店をあとにするのであった(しかし、あんなに繁盛したら、バイトの人、集中力切れはしないか?余計なお世話だが、時給はアップしてるのだろうか。)。もっとも這う這うの体と言っても、匍匐前進したわけではありません。そんなことしたら、超ウルトラスーパーローアングルになっちまうので、ヒップハングなミニな娘さんに叱られてしまいます。いや上にはみ出て見えてもいい用のインナーなのかもしれんから、下から見えてもいいのかもしれんが。

世の中、夏なので、花火大会とか盆踊りがそこかしこで開催されるのであります。私がいつも通勤に使ってる駅の駅前も、ただでさえ、ロータリーとはとても言えない切り返しまくりの狭いところにヤグラを組んでお祭りの用意をしています。近所の中学校でも納涼盆踊りが開催されているようです。失礼かもしれませんが、町内の何かの会の方々が、おそろいの浴衣を着て大勢で一緒に踊っている風景が、私は怖くてしかたがないのです。マスゲームには向かない人なのかもしれない。と、もうマスゲームなんかしそうにない頃になって悟る私です。

「誰かとお付き合いのある時の酒以外、飲むの控えます。」なんて宣言しておいて、お付き合いも友達もいないので、それでは節酒でなくて禁酒になってしまうやん。なんて言う前に呑みまくりの私です。めずらしく、今週はほんとにお付き合いの呑み予定が2回もあります。

たぶん、私は、アル中です。でも、たしかに、少々、頭のダイナモが激しく回るけど、酔ってるって感じじゃないんですよね。ま、概して、酔っぱらいは「大丈夫、まだ、酔ってないって」と言うものです。

そう、花火大会。こないだ近所であって、今持ってるデジカメは長時間露出モードってのを持ってるらしいので撮ってみました。当然、普段のスローシャッターモードよりもさらにシャッター開放時間が長いので、クッキリとるには、三脚を用いるか、しっかりホールドしないとならないのです。でも、アルコールドーピングして撮ったら、手振れしまくり。しかしまぁ。手振れの長時間露光だからこそ、この映像なんだよな。刹那な映像の刹那性を大事にするなら、肉眼で見なくちゃいけませんです。

ああ、ぼくは、どうして、こんなに吐きそうに苦しい思いしながら、金を払いつつビール呑んでるんだろう。それを思えば、苦しい思いして、お金もらえるなんて、仕事ってありがたいなぁ。と思う。でも、仕事では酔えないしなぁ。ま、別に生活に困ってないからかもしれないのだけどね。うまく人生に酔う方法はないものか。

ディスポなコンタクトの追加購入しに行ったら「処方箋の有効期限が切れるので、次回購入時は、眼科の診察受けてくださいね」と言われた。ほう、有効期限があるのか。知らなんだ。お店のチラシでは内田有紀が90日タイプのディスポの宣伝をしていたが、私には90日タイプは無理だろな。と思った。私の有効期限はいつまでかなぁ。

そういや、こないだ、コンタクト付ける時に使っていた小さい鏡をクラッシュしちゃったんだった。「鏡よ、鏡、鏡さん。、、、」どうも私の問い掛けには答えたくなかったらしい。森村泰昌の展覧会に行った時に買った鏡だったのだけどなぁ。自分一人で自分の顔だけ見てる分には慣れたもんなんだけど、人と並ぶと、でかいなぁ俺の顔。顔はちっとも広くないのだけどね。ちっちゃな鏡には内向き自意識を高くする傾向があるそうです。姿見鏡だと外向き自意識が高くなるそうだ。しかし、姿見でコンタクトつける人はいないだろうな。

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当時の本 『インターネット的』糸井重里(PHP新書, 660円+税)リンク、シェア、フラット。「くだらない面白さ」とりあえず、出し切っちゃって試せる世界。
当時の世 日曜日はなんだかどんよりして涼しかった。
当時の私 身体にも心にも、よく寝ることが大事だと悟る。

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「袖触れ合うも多少の縁」じゃなくて、「袖振り合うも他生(多生)の縁」だそうだ。道で見知らぬ人と袖が触れ合うのも深い宿縁に基づくものだ。ということだそうな。袖が触れたのが縁の始めなんじゃなくて、因縁があって、袖が触れるわけね。